冬の間は園芸作業も特に無いし犬の目が心配で家を空けられないしネットもこの頃は楽しくもないので、ヒマな時間は本を読んですごしている。
本も最近は頭を使う本は疲れるので小説を読む事が多い。
どんな本が話題でよく読まれているかということに常にアンテナを張っているほどの読書家ではないから、図書館に行っても数少ない好みの作家の小説ばかり借りていたけれども最近は蔵書のほとんどを読んでしまった(新刊で貸し出し順序のまわってこないものは除く)ので、ご新規さんの作家を開拓する必要性も出てきた。
ダヴィンチのランキングを見たり、ブックマークに入れている書評のブログを参考にしたりして読むようになった作家さんもある。
ああ、面白かったなぁと読後満足できる小説は、私の場合ミステリーが多いみたいだ。それも、本格的な推理小説よりも人間描写に重きを成しているもので、著者が人間を描く事が好きなのだなと感じられるもの。
自分の好む本の傾向を改めて知って軽く驚きがある。
最近、自分の本当の気持ちというのは分からないものだなぁとよく思う。
角田光代という作家の本は「八日目の蝉」しか読んだ事が無い。それも、予告だけ見ていたNHKドラマの原作で、放送終了後にオフィシャルサイトのあらすじを読んだら面白かったので借りて読んだといういきさつ。
とても面白かったのだけれど、そして図書館には角田光代の本がいっぱいあるのに、なかなか別の本を借りようという気がおきない。
角田光代の名はたぶん2009年5月2日以降に私にしっかり認知されたのだと思う。この作家さんは忌野清志郎のファンで追悼の文章をあちこちで拝見した。
太宰治生誕100年で特集番組がNHKであったけれども、そのときにもこの作家さんをテレビで見た。太宰治のファンでもあるらしい。
同じものが好き、ならば、この作家さんが表現するものを私が受け取った時に感動が大きいかもしれない…と考えてもいいのだろうと思うのに、私はどうしてだか、この作家さんの本に食指が動かない。「八日目の蝉」はとても面白かったのに。
自分の気持ちなのに、これがどうしてだか分からない。
何故なんだ?
いつか、ちゃんと出会える時が来るのかもしれない。
それが今じゃないだけ?
犬の具合が悪くなった時、これは大変おこがましいこととは承知しているけれどもあえて犬とわが子をごっちゃにする愚かしさを笑ってもらいながら読んでいただけるなら、子どもが病気をするということほど親を苦しめることはないな、と思った。
そして、病弱な私はどれだけ、親を苦しめたことだろうと。
いや、私の親が子の痛みを耐え難く思う神経を真っ当に持っていたと仮定すればの話だけれども。
でもそういう考えが私の中にあったのだということもまた新鮮な驚きだった。
私はやっぱり、私の事があんまり分かってない。