3月9日まで暖かかったのに、10日から寒くなった。
10日は、どういうわけかわからないのだけど、なんと表現したらいいのかともかくだるくて、何にもやる気が出なくて、とにかく家を出たくなくて、ムスメ(とかげ)やムスコ(いぬ)の用事を朝に済ませてからコタツにもぐりこんでうとうと寝ていた。
前日まで庭仕事もぼちぼちしていたのにどうしてこうも体がいうこときかないのだろう?寒いからかな、と思っていた。
11日になるとますます体が辛く、朝のうちは犬の目薬だけ済ませて寝てしまって、10時前に起きてから散歩やメシなど用事をして、買い物にも行かなければなぁと思いつつどうしても体が動かない。そして妙に腹が痛い。
私は胃は少々弱いけれど腹は非常に丈夫なのだ。下したような痛みではなく、盲腸のような炎症のある時の痛みに似ている。わけのわからない腹の痛みがしくしくしくしくと続くのでとにかく腹を温めて寝ていようとまたコタツにもぐる。
小一時間ほど寝て昼の1時ごろ目が覚めて、あとはコタツに入ったまま横になっていたけど眠れず、気になっていたマンガを引っ張り出してきて読んだ。そう、9日の三陸の津波のことを思い出して山岸凉子の「鬼来迎(きらいごう)」を。
9日の津波は50センチほどだったけど、マンガやパニック映画に描かれる津波って人の背丈を優に越える高さで、スマトラの地震の時の津波の映像はテレビで見たけど、ああいう津波が日本でも来たことがあるのかななどと思って、ネットで津波を検索したりしてた。
PCの前に座っていると寒いので、PCを落としてまたコタツに入って、同じコミックスに入っているマンガを読んでいた。相変わらず腹が痛かった。
3時6分、電話が鳴った。実家の母から。
実家から電話が来るのはたいてい夕方5時に決まっているのでいつもより早い。決まった時間以外にかかってくるのは何か起こった時に違いないので、電話をとって開口一番「どうしたの何かあったの?!」と言ったら、「何があったも何も無いよ!東北ですごい地震でしょ!あんたの新潟の友達は大丈夫なの?」と言う。
(母は無学で無知で方向音痴なので、新潟は東北の方にあると思っていた。ごめんなさい)
すぐテレビをつけてPCを立ち上げた。テレビ画面の右下に日本地図。沿岸部に赤い縁取り(これは実は紅白の縁取りだったのだが)が点滅している。地震は三陸沖らしい。
ネットは気象庁のページにつながらない。
とりあえず情報を得ないことには始まらないので母に「友達のところは東北じゃないから大丈夫だと思うよ。ちょっと調べてみるから電話切るね。連絡してくれてありがとうね」と言って電話を切る。
テレビの震度の情報は見そびれたのかわからない。でも東京でもだいぶ揺れたのは確かなよう。
Yahoo!の地震情報で震度を知る。東京も、夫の弟のいる埼玉も震度が大きい。
3時15分夫にメールを入れる。
テレビに津波の映像。名取川の川岸の田園地帯を飲み込む津波。川を渡る橋につながる道を走る軽トラックがあっという間に…
義弟の家に電話を入れる。留守電。義弟は宇都宮で仕事だろうか。お嫁さんはどこへ。甥は…
夫からメールくる。
母に携帯で電話をするがつながらない。再びかけてもダメ。
固定電話で実家にかけた。つながった。
東京の叔母には連絡が取れたらしい。叔母の勤務先はお台場で近くで煙が上がっているというけど、目視では東雲の叔母一家の住む高層アパートは無事だったようだ。叔父も従弟も無事のよう。
義弟から電話があるかもしれないので、と言って切る。
3時半過ぎ、電話がかかってくる。義弟から。仕事が休みで甥の勉強をみていたらしい。お嫁さんはPTAの集まりがあって学校に行っていたが地震で急遽解散で帰宅。無事だった。
夫に義弟の無事をメールする。
それからテレビを見たりPCを見たり。
私の住んでいるところは震度1。実家の市もそう。コタツで寝ていてもまったく何も感じなかった。
すごく気分が悪い。相変わらずおなかが痛い。
この感じ。
思い出した。
中学生の時の伊豆の地震の時と同じだ。
母と伯父叔母たちで伊豆に旅行に行って帰ってくる日に地震が起きた。私と弟は留守番で家にいた。朝からお腹がしくしく痛くて胸がもやもやして仕方が無かった。
母たちは早い時間に伊豆を出ていたので無事だった。帰り道の渋滞でひどく疲れて帰ってきた。
夜にはお腹の痛いのは楽になった。
私は非科学的なことは信じない。
11日は夜になってもお腹の痛いのはおさまらなかった。
テレビの映像は私のノウミソをものすごく傷つけているなと思いながら目を離すことができない。ほんとにこれはなんてことになったものだろう。こんな恐ろしいものをどうして私は見ているのだろう。
夫はたまたま帰宅が遅くなった。すごく胸騒ぎがする。
こんな時は早く帰ってきてほしい。
ああ、そうだ、あっちの方には原発があったけども…