イタリアの豪華客船の事故のニュースを最初見た時に、行方不明者が多数いるという報道がまだなくて「日本人乗客は全員無事」とテレビが言ってたので、救助されたその乗客がインタビューで「タイタニックみたいで怖かった」などと言っているのを見ていても、同情心が一向に沸かなかった。
金持ちが外国の豪華な客船でのんびり船旅なんかしてるからそんな目に遭うんや←こういうのをルサンチマンとか言うんだろう。
私は確かに愚かで妬み深く根性の悪い人間だけれど、私に限らず人間というのは誰かの幸不幸への評価や感想はその誰かとの距離感が多大に影響するものだと思う。
今日は東京近郊の雪のニュースがいっぱいだ。2000件以上も交通事故が起こって、救急車が出動したくても道路が渋滞していてなかなかたどり着けないなどと聞けば気の毒なことだと思うのだけれど、それは私が東京生まれで数年に一度しか積雪らしい積雪のないことを知っているのと、今住んでいるところも盆地特有の気候が加味されはしても大きなくくりで言えば太平洋側気候で雪に慣れることが出来ないまま48年生きているからだ。
親和性による同情、というようなものか。
私は、冬の日本海側には1月の城崎、3月の鳥取しか行ったことがなく、どちらも滞在中に雪は降ったけれど奈良の大雪のときと大して変わらず、だから、2メートルの雪の暮らしというのはどれだけ頭をひねっても想像することも出来ない。
雪かきは大変なんだろうと聞きかじっただけのことで思っても、実際にそんな目に遭った訳じゃないので「この苦労はわからんだろう」と言われたら「仰せの通りです。すんません」と言うしかない。
人は、自分が経験したことしかわからない。自分が知っていることと近いことにしか同情できない。
所詮そんなもんだ。
この間、関西のローカル情報番組を見ていたら、広島で刑務所を脱走した男が50何時間の間におかした罪というのを列挙して、どの罪が刑法上最も重いのかというのをコメンテーターにたずねるということをしていた。
罪状の方は、刑務所を脱走した罪・建物を破壊した罪・住居に侵入した罪・物を盗んだ罪などなどいろいろ。
結局その中で窃盗罪が一番重かったのだけれど、一番軽い罪が「逃走の罪」だということにコメンテーターの一人のトミーズ健から異議が出た。
そもそもの始まりが脱走で、そのことでたくさんの人を恐怖に陥れたのに、それが一番軽い罪だというのに納得が出来ないと言うのだった。
それに対してそのコーナーの司会のアナウンサーから、「捕まったり、どこかに閉じ込められたりしたときに『逃げたい、自由になりたい』と望むのは人間の自然な情なので、誰しもがそう望むことに対して重い罪とすることが出来ないのが法律の理念なんです」と説明するのだけれども、「そういう人に外に出てこられたら嫌やという方が誰もが望むことなんちゃうの?」などと反論していた。
この主張に対してのアナウンサーの説明が下手で結局「健ちゃん」は全く理解した風でなくブーブー言ったまま次のコーナーに移ることになってしまった。私は「カルネアデスの舟板(緊急避難)」の話でもすればわかってもらえるんじゃないのかなぁなどと思っていた。
「健ちゃん」には決して、自分が誰かに拘束されたりどこかに閉じ込められたりするというような想像は浮かばなかったのだと思う。
確かにまっとうに生きていたらそういう経験をする機会は得がたいけれど、世の中には「冤罪」というものだってあるから罪をおかさないからといって絶対にそれと無縁でいられるとは限らない。
でも、たいていの人は自分は死刑にならないと思っているから死刑に反対しないし、自分と関係のないところなら刑は出来るだけ重くして欲しいなんて思っている。
そう主張することが自身の善良さをより強調するかのように。
これなどは親和性のなさが同情を阻害するいい例なんじゃないか。
ネットで朝鮮の人に対して「死ねばいい」とか「国へ帰れ」とかいう人もいる。リアルで朝鮮の友だちや知り合いがいたらきっと言えないこと。知らないから言うのだ。
広島や長崎の被爆者に対して「くれくれ乞食」のように言う人もいる。それを言うあなたが彼らの経験したことをそのまま経験した上で同じことが言えるのかどうか。
私も確かに愚かで妬み深く根性の悪い人間なので、金持ちや差別者や右翼や独裁者なんかには全く同情できないし、それが小さな不幸なら「ザマァ」なんてほくそえんだりしちゃうかもしれない。
でも、金持ちにも差別者にも右翼にも独裁者にも人の生の営みがあってそれが私に理解しがたいことであっても何がしかの幸福を求めて生きているということは心のどこかにとどめておくべきだとは思っている。
自分が誰かの不幸に同情できない時にはそこに「無知」がないのか確かめてみようと思っている。