関西では、1週分を23分にまとめた「もう一度カーネーション」というのを毎週木曜日の昼に放送することになって、昨日がその第1回だったので録画しておいてさっき見た。
カーネーションが終わってからは一日のタイムテーブルまで狂いまくり。だって、カーネーションは1日3~4回見たけど梅ちゃんは1回見るのもながら見だもんね。
時間のある時は2chのドラマスレを追ったり、オノマチのついーとを見たりしてたけどそういうお楽しみもなくなっちゃったし。
で、その23分ダイジェストが、こりゃまた泣けるのであった。
女である、というのはほんとうに、すごく難しい。
糸子以外はだれも、女であることの不平を言わないのである。大工方になりたい、けんかで負けたくないという思いに立ちふさがるモノはどこのどんな女の前にもあるのに、それは女の共通の障害にはならない。奈津は日傘で着飾って歩き、母千代は理不尽な夫に従う。糸子がどれだけ不自由を嘆いても、同じ女の奈津も千代もその境遇を嘆くどころか楽しんでいるのである。
女というのは、あきらめることをあらかじめ強いられた性だ。
けれど、夢見ることを最初からせずに与えられたところだけで生きていくこともできる性でもある。
女は一枚岩にはなれない。なんて難しいんだろう。
糸子のはがゆさを思うと涙が出た。この周りの壁はおそろしく高くけわしい。気づいたものがひとつひとつ突き崩し、いろんなことができるようになってきたけれど、でも結局、最後まで壁は残るのだ。
●だんじりの大工方をつとめること(相撲の土俵に上がったり、大峰山に登ったりするのもそう)。
●男に腕力で勝つこと。
でも、その他のことならきっと夢は選んで手に入れられるはず。
ああねむい。ちょっとねよう。