姑を介護している人のブログをずっと読んでいる。
かなり悪い仲である姑を何年も介護されてきたことには頭が下がるが、行間に管理者の性格の悪さがにじみ出ていてあまり同情ができない。一番いやなのが、エントリーの最後にブログランキングへのクリック投票を呼びかけているそのやり方で、ただ「おねがいします」ならクリックしないでもないものを、毎度毎度皮肉や呪詛の言葉なので、私がひねくれているからだろうが決してクリックしてやるものかという気になる。
この管理者が本当に意地の悪い人間なのかどうか私にはわからない。実際には人当たりのいい奥さんなのかもしれない。文章を書くとなぜか意地が悪く見えてしまうということもあるのかもしれない。
また、この人が心底意地の悪い人でも、そうなったのは介護が原因かもしれない。確かに姑さんも書かれていることが真実ならたいがいなお人のようなので。
姑を介護することが一生ない私には何も言う資格はないだろうとも思う。
読むとあんまり愉快でないこのブログなのだがなんとなく読んでいる。毎日読むかというとそうではなくて、ああ、しばらく読んでいなかったな、と思うと行って読む、という感じで、まぁひまつぶしなんだろう。
ランキングで上位だということは読んでいる人がたくさんいるということで、シンパの人のコメント書き込みも目立つ。ただいやがらせの書き込みも時々あるようなので私のように同情できない、むしろ反感を持つ、と言う人も一定いるのだろう。
リアルだったらたぶん性格の問題うんぬんよりも生活の違いなどで絶対お近づきにならないタイプだと思うので、そういう人の生活の一端を読むことができるというのはネットならではなんだろう。
新潟の70歳代の女性のブログもよく読む。ブログ形式ではなかった頃からの読者である。この人は緑花文化士なのだ。記事は日々の衣食住のこと、畑のこと、庭のこと、お好きらしい着物や布や縫い物のこと、沖縄のこと、そして最近は原発の署名のことなども。しっかりした文体に、いろんなものをそぎ落としたさっぱりとした気性が透いて見えて好ましい。介護の人と比べると全く真逆に感じる。
ちょっと前に高野文子のマンガのことで記事があったのでコメントを書こうかどうしようかと悩んだけれど結局書けなかった。私のような底の浅いつまらない人間にはお近づきになる資格がないんじゃないかと思ってしまう。
たかがネットの文章で書く人の人間性がそうそう知れるものでもないだろうと思うが、でもその浮遊する人間性の断片で好感を持つこともあり、嫌悪を持ったり。
私も結構長い間あちこちで文章を書き散らしてきたけど、私を心底嫌いな人もちょっとはよく思ってくれる人もいるのかな?
「コイツサイテー!」って思いながら文章を読んでいる人もいるのかもしれない。
ACTAとかいう法律ができちゃうと、ホームページやブログをやるのにずいぶんめんどくさいことになりそうなので、そうなれば今まで書いてきたことなども全部削除かなぁなどと思っている。結構動画なども貼ってるしね。
このブログは今現在、片手で余るほどの人数しかお読みいただいていないのだけれど、なぜだか、私の過去の日記風のブログも含めて読み込んでくださっている人が中国地方のどこかの県にいらっしゃる。お知り合いじゃなさそうだし、どうしてかな?
一方通行なので知る由もないけど、私の書くこと、何かその人に意味があるものになっているんだろうか。