2週間前ほどだったか、イカリソウのページにFacebookからのアクセスがあった。
JavaScript無効にしてあってリンク元がわからない。
ログのHTTP_USER_AGENTという項目に
facebookexternalhit/1.1 (+http://www.facebook.com/externalhit_uatext.php)
とあるのでこのアドレスをたどってみると
「サーバーのログにFacebookが記録されているのはなぜですか?」
とかいうFacebookの説明書きのページがヒットするだけでよくわからなかった。
それはそのまま放っておいたのだけれどまた今週になって今度はこのブログにものすごい勢いでアクセスがあった。ここには私的なことばかり書いてあるので人が読んで面白いものじゃないしむしろ突っ込みどころ満載なのかもしれず、Facebook上の誰かに物笑いにされているかと思うと不愉快だった。
ログをよく見直してみればそれがクローラーのアクセスだったことがわかったのだが、例によってそこつ者なのでこりゃ登録してみないとわかんないんだろうと、友達のいない私には全く意味のないSNSであるFacebookに登録してみたのだ。
Facebookでは登録しているからといって赤の他人さんの書いたものにどんなリンクが貼ってあるかわからないということのようで結局何も突き止められず、ヒントを得ようとググってみたらクローラーの仕業と判明したので放置で行くことにして、一旦はFacebookの登録削除の依頼を出したのだけれど、そうだ、どうせ登録したのならちょっと調べものをしようと思った。
まず連絡が取れなくなって消息がわからなくなった中学時代の友人ふたりの名前を調べてみたが、これはわからなかった。
ひとりの方はデザイン関係の仕事をしているようでネット上ではいくつか名前を見つけられたのだけれど、Facebook上ではわからず、もうひとりの方は名前がかなりありふれているのでしぼりようがなかった。
それから私は会ったことのない腹違いの妹の名前を調べてみた。この妹はある美術系の大学のHPに賞を取ったテキスタイルの作品がUPされていて、私に少し似た丸顔の小さな顔写真も載っていた。私が生まれたときの姓はかなり珍しいものなので他の人と間違えるはずもない。
で、その妹の登録がFacebook上にあった。芋づる式に実父の兄の長男次男と次男の妻、実父の弟の長女と長男の登録も見つけた。
私の実父は3人兄弟の真ん中だったのだが、祖母にとっては私は2番目の孫で、実父と10歳離れた兄の長女が私より半年早く生まれている。その長女が私がもっとも親しい父方のいとこなのだがこのいとこの消息は知れなかった。
また、見つけた継妹は実父が再婚した人との間の次女でだから長女である継妹もいるのだがこの人も登録がなかった。
私にとっては血縁者に違いないのだけれどこの人たちは私のことを多分ほとんど知らない。
実父の兄の長男は私と5歳違いだから1年に何度か会う機会があったがこの人が10歳の頃からもう会っていない。
次男は私が実父と行き来があった20歳までの間に生まれていなかった。
実父の弟は私が15歳で東京を離れるちょっと前に結婚した。その後長女長男をもうけてそのふたりには私が最期に実父に会った20歳の時に一度会ったことがありふたりの写真も私は持っているのだが、その時まだたしか5歳と3歳?くらいで私のことは覚えていないだろう。
継妹の姉の方は三度くらい会ったことがあるのだけれど妹の方はやはり私が実父と没交渉になってから生まれたはずだ(実父からの手紙で名前だけは知った)。
私は15歳までは、父方のまだ数少ないいとこ同士の中では重要な人物だった(祖母と暮らした期間が一番長いのは私だったのだ)のに、今ではもしかすると完全に忘れ去られた人間かもしれない。
自分の「縁の薄さ」をひしひし感じた。
母方にもいとこはいるのだけれど、母のすぐ下の妹と姉が立て続けにがんで亡くなって、妹の方のいとこは父親も遁走して施設に預けられたし、姉の方のいとこはもともと横浜で遠かったのもあり行き来が盛んでない所に私が奈良に移ってきてしまったのでやはり30年以上会っていない。母の末妹の方の男ふたりのいとこは私が奈良に来てから生まれたので1・2度しか会っていない。
養父にはおいめいがたくさんいるけれど血縁がないからいとこ扱いは受けたことがない。
私の、人間関係を人生の重きに置けない性質は、肉親との縁の薄さも関係しているのだろうなぁなどとちょっと思ったりする。
Facebookの継妹の写真のうちのいくつかはつながりのない私にも見ることができた。その中に、継妹が両親と食事をした後夜の新橋を歩いたというコメントがあった。それが2011年の12月だったから、実父は一昨年の暮れまでは存命だったのだとわかった。若い頃の実父に連れられて新橋の飲み屋にも何度か入ったこともあり、夜の、まだ森永の土星のような看板が光っていた夜の銀座を歩いたこともある。
でもそれは継妹は知らない。その母も知らない。実父もきっと忘れているだろう。私だけが持っていて、私が死ぬと消えてしまうつまらない思い出だ。
それでもいいんだろう。35年も前に手放した娘と息子のことなんか忘れてくれていい。もう多分そんなに長くない人生を普通に周りの人に送られて静かに終えてくれればいい。
親が離婚したということは私の人生に大きすぎる影響を与えたはずで、思春期を愛情も物質面でも本当に貧しく日々送らざるを得なかったことはずいぶん私の心を傷つけたのだと今になって思うけれど、私は父に棄てられて辛いとも母が真っ当に私を愛さなかったことを悲しいともあまり自覚しないで過ごしていたのだ。継妹が多分父譲りの芸術面の才能を伸びやかに生かせたのは生まれ育ったのが「フツーの夫と妻のいる」家庭だったからなんだろうなと想像するけれど(私と弟が受け取るべきだった養育費もそこに注がれていたと年増の計算高さで若干考えたりもするけれど)、それを妬んだり羨んだりする気持ちもない。
継妹の持っている「血のつながりのある老いた両親」も、生まれてから消息が不明になったこともないいとこ達も私にはないのがさみしいといえばさみしいけれど、まだ若い(実に私とは親子ほども違うのだこの継妹の年齢は!)彼女が普通に幸せでいてくれればよい。