いきめやも

投稿者: | 2013年7月29日

今日は夫と「風立ちぬ」を見に行った。

戦争を否定するのに戦闘機の美しさを愛する宮崎駿が自分の中の矛盾を見つめ作品で答えを示そうとしたということだったのだが、矛盾は矛盾のままで示すより仕様がなかったということがわかった。
直裁に言えば、「宮崎駿は立派なヘンタイである」ということが美しい美しい画面からあふれ出ていた。

航空機というものはこの世に戦争がある限り、進歩の推進力が戦争そのものであるという宿命から逃れられないのではないか?
人を殺す道具だと重々知りながらより美しい(より能力の勝る=より人を殺せる)飛行機を作らないではいられないのなら、いっそ飛行機など作らなければいいと凡人の私は思うが、その才を持った人にはただひとつの道しかなくもろもろを引き受けながら飛行機を作り続けるしかないのかもしれない。
これは、時代がどうとかいうことでなく、いつか人間が戦争を完全に封じ込められた時に初めて、主人公のことを批評できるのだろうなと思う。

映画を見て泣いた人が多いようなのだけれど、私には泣けるところはなかった。私は凡人で飛行機を愛する気持ちは少ないのでただ人殺しの道具にしかやはり見えなかったから。
時代考証はすばらしい。たくさんの写真やフィルムを資料にしたのだろう。細かな人の動作などの演出も見事だった。
挿入歌で会議は踊るの「唯一度だけ」が歌われたのがグッときた。人の声の効果音も本当に「効果的」だった。


昨夜の夜歩きの二上山。影のようなのはコウモリ。