前に
誰かと友達になるのも、とにかく自分を「迷惑な存在」と思っているので、対等な立場ではなくて友達に「なっていただく」ように思っているから、自分から声を掛けたりして友達になったりはしない。
ってココに書いたけど、もうちょっと詳しく書く。
つらつら考えてみるに。
私は友だちと呼べる間柄になった人に対しても遠慮が大きい。
ヒマな専業主婦子無ひきこもりなのでかつての友人のことなど日常的によく思ったりするのだけど、だからといって連絡を取ろうとか思わない。有能な友人たちは私と違って忙しいのであるから、ヒマな私が接触してくるのに関わるヒマはないだろう、とか思ったりする。
大学時代の友人に、だから自分から会うことを提案したようなことはこの27年間一度もない。
1回だけあるかな?友人が出産した時お祝いを持って伺ったことがある。それは、まあ、こちらから持ちかけたことだけど向こうから催促する性質のもんじゃないしな。
だから、会う機会があるのは、いつも誘われた時だけ。お声がかかった時だけ出て行く。
それも、酒飲めないから夜の集まりには行かないし、無神経で人の気持ちを逆なでする面子がいれば行かないし。
最近、立場を入れ替えて考えてみて、誘わないと来ない、誘ってもなんだかんだ理由つけてこないようなヤツってフツー、自分のこと親しく考えてくれてるようには思えないよな、とわかった。
そうだな、みんな私のことそう思ってるんだよな。
で、もう全く、大学時代の友人からの接触はなくなった、と。
(こういう人の話なの。同じじゃないよ)
「迷惑だろうから」と接触をしないでいると、余計に「迷惑な人」になっていく、という話なんだな。
「その後の不自由」という本には、「その後」には生真面目に、フツーの人みたいに人と良好な距離感でお付き合いができるようになろうともがく人が多いように書いてあって、しかし、そのもがきはしんどいから、むしろ「はぐれもの」と思って生きていくほうが楽になるよとあった。
私もようやく観念できたような気がする。もうハグレモンでいいわ。