そだつことをやめた家

投稿者: | 2014年4月16日

犬の散歩コースに4年位前に建った家がある。
若いご夫婦が入居してきて、手付かずだった外構をコツコツDIYできれいにされていった。ウッドデッキができ、周囲にウッドフェンスが張られ、敷石や砂利敷きもとてもセンスよく、いろいろな植物がまるで庭造りのムック本のグラビアのようにきれいに植えられていった。
そのうちに赤ちゃんを抱く奥さんが庭先に立っていたりするのも見た。鼻先の長いスポーツカータイプの車が買い換えられ、大きなワゴンカーと、奥さんが買い物などで使うらしいかわいい軽四がガレージに置かれるようになった。
「いいな」と思っていた。ちょっと僻目もあった。まだ若いのにきれいな新築一戸建て。それにとても上手な庭造り。子どもがいる明るい未来。
僻目といってもほんのちょっぴりで、やはりその家が育っていく様を毎日見ることが私は楽しみだったのだ。
いつからだろう。かわいい軽四がずっといないままになった。夫と一緒に散歩する時に「あれかな?奥さんまたおめでたか何かでご実家にでも帰られてるのかな」などとひそひそ話したりした。
そんなことを話してからもう2年くらいになる。ずっと車はない。奥さんも赤ちゃんも見ない。
もう、確かに、「そう」なんだろうな、と認めざるを得ない。
いまどき、ちっとも珍しくないことだし、昨日はネットニュースにもダディとかなんとかいう人が4度目の結婚だとかの文字も見たし(気に入らないんですけど、なんであの人「清志」って名前なんですか?どーしてキヨシローの本名と一緒なの?)、誰にだっていろいろ事情はおありだろうとはわかるんだけれど。
ただ、その家の前を通るのがなんだかしみじみかなしい。一人では大きすぎるようなお家と手の込んだすてきな庭に風穴が開いているような心地してかなしい。
29年結婚を形作ってきたけれど、運のよいことに(お目出度いことに)無瑕であることが当たり前すぎて、だからことさら、かなしくさびしく感じてしまうのだろう。


昨日はライラックの咲いてるのを見た。今日はヤグルマギクが咲いてた。