去年の11月にこんな記事を書いた。
「嫌われる勇気」を読んだ
最後に、
私の実践については、またいずれ書きます。
と書いていながらなかなか書く時期に達せず、最近やっとその状況になったので書いておこうと思う。
去年の夏前からfacebookをやっている。
去年の春ごろの思いのままではどうしても生きていける気がしなかったので、人に深入りせず、また引きこもることもない、適正な距離感をつかむために、自分のすべてを相手に注ぎ込むような関係にはなり得ない、でも、自ら関係を保つ努力をしなければ居続ける事ができない彼の場所で、ちゃんとやれる自分であるのかどうか試してみたかった。
facebookでの自分ルール。
友達を100人つくるまでは、自分からは絶対に友達申請をしない。個別にメッセージもしない。
申請されても、思想信条が認めがたい人は承認しない。メッセージなしに申請だけしてきた人も承認しない。
また、明らかに、友達の数をコレクションしているような人物も承認しない。
これだけ。
で、先日(途中幾人かには切られましたが)、やっと100人になった。えり好みしなければさらに30人くらいには申請受けていたが、前述の理由で承認しなかった。
facebookでは2つのグループに入った。ひとつは奈良の情報に関するグループ、もうひとつは花の写真を投稿するグループ。結果的に花の写真のグループでの投稿やコメントがfbでの私の活動の主になった。花のことなら、いくらでも、頭の中にある整理ダンスから無尽蔵にネタを引っ張り出せる。そのことが幸いしたのか、私に友達リクエストしてくださる方がポツリポツリいらっしゃり、それが積もって100人になった。
さあ、これで、私には自信がついたのだろうか。人間の中でちゃんとやれるのだろうか。
私の承認欲求はちゃんと飼いならされたのだろうか。
正直に言うと、そういう評価をきちんと出せるほど、物を考える時間がない。100人の全員にではないけれど、コメントを書き、いいね!をし、自分の投稿に対するコメントへ返信をし、それはなかなか時間も必要で、なおかつ気力がものすごく要る。実際、ものすごく気力を使い果たしている。
これは、うまくいっているのだろうか。私にはよくわからない。
本当のことを言ってしまうと少し面倒くさい。でも、やり取りがものすごく面白い時も実になる時もあるので、遁走してしまうのもどうなのか、という思いもあって、とにかく私の挑戦はしばらくは継続するのかもしれない。