悲報

投稿者: | 2016年1月22日

子どもの時に食べたもので培われた味覚というものはどれだけ長く人生を送ってきてもたやすく変わったりしないものなんじゃないかと思う。
・・・なんて難しいことはともかくとして、つまり、子どものころに食べたあの味がオレは食いてェ!ということでしかない。

東京を離れてもう37年だというのに、やっぱり恋しい東京の味、なのである。書き始めたらキリがないので自制するが、今言いたいのは「あんまん」のことである。あんまんと言ったってヨルダンの首都のことではない。中華まんの「あんまん」だ。

今や、高層マンションが立ち並び、でっかいイオンモールがあり、立派な未来都市のようになっちゃった江東区東雲には、昭和46年当時、お店屋さんは山崎パン屋と雪印牛乳しかなかった。
東雲はバスの車庫と倉庫会社と運送会社しかない土地だったので、需要があったのだろう、朝7時前からパン屋さんは開いていた。私の家族はできたばかりの都営アパートに住んでいて、冬の寒い朝に母と、てくてく15分ほどパン屋さんまで歩いていって、蒸しケースに入った中華まんを買って朝ごはんに食べたりした。
私は子どものころは小豆餡が苦手だったのだけれど、あんドーナツ(フライ饅頭)とあんまんだけは食べられた。油脂の味が好きなのだと思う。特にあんまんは、ごま油で練り上げられたねっとりした餡が香ばしくて本当に好物だった。

それが、15になって奈良に来て、二度と味わえない食べ物と知った時の悲しさ。
そうなのである。奈良でだって冬になれば蒸しケースにあんまんは並ぶ。見せかけは全く同じだ。でもふっくらした白い肌をポッカリ割って出てくるのは、似ても似つかないべっちょりした小倉餡なのである。関西のあんまんは、中華風の練り餡ではなく、ただの(それも質の悪い)あんこなのだ。

それからずいぶん長い間東京風のあんまんをクチにできなかった。この家に越してきて近所の近商プラザ(近鉄のやっているスーパー)で冷凍の中村屋のあんまんを見つけた時の感動たるや!
ただ、単価が高くて季節限定なのでなかなか食べる機会に恵まれなかった。

2年前ほど前、近所にアピタという、中京圏を本社とするスーパーができた。品揃えが少し東に傾いていて、籠清の蒲鉾を売っていたりして、値段は高めだけれどヒヤカシによく行くのだが、去年の秋、そのパンコーナーに発見したんである。
冷凍でない中村屋の中華まんを。


これで、398円。すぐさまゲットでしたわ。

中華まんは蒸し器でふかすに限る。せっかくのあんまんも電子レンジじゃ台無しだ。
15分ふかすと・・・


ほら、このようにふっくら。


そして、この餡の色艶のよさ・・・

この秋からはこうして、私はなつかしの味をいつでも近所のスーパーで手に入れられるという幸いを得たのである。
しかも、この中華まんはしばしば、見切り品コーナーで200円で売っていたりするのだ。
賢いやりくり主婦であるアテクシとしてはこれを見逃すはずはない。見切り品を買ってきて開封して、ひとつひとつラップにくるみ、冷凍する。そしてまた蒸し器でふかして食べる。極楽じゃ!

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これでめでたしめでたしなら、タイトルを「悲報」と書きはしない。
そう、私もちょっと危ぶんではいたのだ。籠清の蒲鉾はいつしか練り物コーナーから消えてしまった。ほんのミニサイズのものでも250円するのだもの、関東のブリンブリンの蒲鉾を食べ慣れない人たちには受け入れられず、いつも売れ残っていたのだ。
そして、中村屋の中華まんも見切り品コーナーに山積みになるようになっていた。私にはうれしい限りだが、これは本当に歓迎していいことなのか、先に落とし穴が待っていないのか。心のどこかに警鐘が鳴っていた。

そして、ついこの間の火曜日である。
またしてもあわよくば見切り品のあんまんを手に入れようとスーパーに行くと、見切り品コーナーにも、通常の陳列棚にも中村屋の中華まんはなかった。
取り扱いがなくなったのだ。籠清の蒲鉾とおなじ運命をたどったのだろう。
もう、あの味をお気軽に味わうことはできないのか。私に残されたのは、冷凍庫に入っている4個のあんまんだけとなった。悲しい・・・

私が東京のあんまんをいつまでも恋しいのと同じように、このあたりの人の心の味は小倉餡のあんまんなのだから、売れ残り取り扱いがなくなるのは必至だったのだ。
ほんの3ヶ月ほど、あの懐かしい味に再会したことのみを喜ぶべきなのではあるが、やはりひたひたと悲しいのである。