とめたい

投稿者: | 2016年3月19日

也々が死んで、もう2週間も経ってしまった。
私の頭はどんどんバカになっているので、あの晩のことをいつかぼんやりとした記憶にしか保持できないようになってしまうだろう。
也々のいた最期のあの時間から遠ざかりたくないのに、否応なくものすごい力で時は圧し進む。なぜ?立ち止まりたいのに、時を止めたいのに。
也々が前の日の夜まで使っていた毛布をすぐそばにおいてあって、也々のにおいをかごうとするのに、もうにおいがうすれてしまった。
毎晩私の布団の、也々の寝ていた場所に口づけする。也々が最期の息をした毛布をまとって寝る。でもいつか、毛布は洗わないといけない。嫌だけれど、仕方ない。

神様なんていうものがいるとしたら、なんてむごいことをするものだろう。愛の気持ちの少ない私がこんなに愛したものに、なぜあんな酷な生涯を送らせたのだろう。私が憎いのなら、私にだけ罰を与えればいいのに。どうしてあの子の体を苛むだけ苛んだ後、あのような非業な死に方をさせたのだろう。

ただただ、あの子に申し訳ない。

虹の橋なんてないし、そこで楽しく遊んだり、おいしいものを食べたりしていない。犬は苦しみのまま死んで焼かれて、骨が残り、後は水蒸気や二酸化炭素になった。
犬の思念はもうないので私を憎みはしないだろうが私を許しもしないだろう。犬が苦しんで死んだという事実だけが私を未来永劫責めるだけだ。

・・・そう知っているのに、わかっているのに、それでも、空想(妄想?)のどこかの場所で、犬が幸福でいるようなことを思い、自分を楽にさせずにはおれない。私は意気地なしだ。


犬の仏壇を買った。中にはお骨が入っている。毎日お水と、生前最後に口に入れた食べ物のボウロを供える。
初七日にはかぼちゃケーキ(とっても好きだったのにIBDになってからは食べさせられなくなってあげていなかった)を焼いてあげて、昨日の二七日には鶏の手羽元のゆでたもの(軟骨の部位が好きだったがこれもIBDであげられなくなった)を供えた。
こんなことをしてもあの子が喜ぶわけじゃないのに。ただの自己満足なのに。


先週11日に家に居ることができなくて犬のかつての散歩コースを歩いてきて、咲き始めていたハクモクレン。もうきっと散っているだろう。
也々のような白い色。