れすといんぴーす

投稿者: | 2018年9月17日

午前3時ごろ、なぜか豪雨のピンポイント攻撃に遭い、ものすごい音で目が覚めた後寝付けなかったので、4時ごろから内職をしていた。

洗濯して干して夫を送り出してから実家までバイクで行ってきた。先日大阪で買ってきた車麩とか、尼で注文した台所の排水口のゴミ受け(ずっと近所のホームセンターで買ったサイズの合わないものを無理やり使っていたので)と菊割ゴムとか、父に処分品の楊柳地のステテコ(来年用)とか持っていくものがあったので。
それから山麓線のパン屋で母の好きなカレーパンと父の好きな焼きそばパンも買った。年寄りたちは昼食と称して朝10時くらいにパンを食べるという特異体質?なので(ちなみに夕食と称して午後2時前に食事をする)。あ、これ敬老の日のパンだからね、とお安く済ます。
寝てないし、天気もあんまりなので、10時過ぎには実家を出て帰路へ。山麓線の特に葛城古道のあたりは数人ヒガンバナと棚田目当てのカメラマンさんがいた。ヒガンバナは咲き始めで初々しくてよい。雨に降られたらと思ってカメラを持ってこなかったけれど撮ってみたかった。

帰宅してお昼を食べてからまた内職。集中力が切れてきたので2時ごろやめて昼寝しようと横になったが、つい本を読んじゃって寝なかった。「選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子」読み終わった。

私は何の経験もないのでなんでも一番卑近な也々のことになぞらえて話をするけれど、也々を手に入れる前にもし也々が将来目が見えなくなること、重篤な腸の病気を発症する可能性のあることなどわかっていたら、それでも喜んで諸手挙げて也々を迎え入れたかというと全然わからない。「じゃあいらないや」ってなったかもしれない。
でも也々と暮らして、白内障を発症した時は目の前が真っ暗になったけれど、だから也々をどうかしようなんて選択肢は全然なかった。ただただやれることを一所懸命やろうと思った。オシッコやら肝臓やらあちこち悪くしたけれどその度、何とかしよう、頑張ろう、と思った。

出生前診断を受けて子どもの障害がわかったときと、障害はないですと言われ障害のある赤ちゃんを産んでしまったときと、その赤ちゃんの闘病を近くで見た上に亡くしたときと、同じ人間がそれを経験したとしてもその人のその時出す答えは違うものだろうと思う。それは矛盾というのではなくて人間はやっぱりその場その時に自分が置かれないと答えがわからないものだろうから。
だから私は、この本を読んでもやっぱり自分がどう考えるべきかわからなかった。障害のある胎児だった場合中絶するつもりで出生前診断を受ける人を非難することもできないし、でも、そういう流れがあることで現に障害を負っている人とその家族が傷つくという事実も見過ごせないし。
女が産まない自由を選択できることと、どんな人も生きる自由を尊重されることと、どちらも成り立つ世の中にはどうしたらなるのだろう。

最後に少し、強制不妊手術の話が出てきていて、私は勉強不足なので最近ニュースになったような様々なニュースについてもろくすっぽ知らないけれども思い出したのは映画の「あん」のようなハンセン病の患者さんたちに強制的になされた手術のことだった。
樹木希林さん、コミカルな昔のドラマも大好きだったし、骨太なヒューマンドラマにも数多く出演されていた。今ふと思い出したのは日テレ系で昔放送された「明日 1945年8月8日長崎」というドラマ。映画化もされているけれど井上光晴の小説が原作で、8月8日長女(大竹しのぶ)の出産と次女(富田靖子)の結婚で大忙しの母親役がとても印象的だった。

「万引き家族」観たいのに観に行けてない。観なければ。
ご冥福をお祈りします。


昨日、櫛田川にかかった潜水橋に下りてみたら、川岸に咲いてたヤブラン。