アサイチで図書館に行くはずが予報よりも早く降りだして止み間もなく、貸し出し延長をした本を読み始めた。
「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」という本だ。
このドキュメンタリーで主に語られるのは、広島爆心地の「慈仙寺鼻」と呼ばれた一隅に戦後建立された原爆供養塔に毎日のように清掃に通い死者の声に耳を傾け続けた佐伯敏子さんという入市被爆者のことで、読み進むにつれてわかったのだが昨日10月3日はこの佐伯さんが亡くなられてちょうど1年だった。めぐりあわせというものの妙である。
先日図書館で借りたルポライター石井光太の「原爆」を読むまでまるで知らなかった戦後広島市政についてのことが作中で触れられていたり、ずっと以前読んだ「広島第二県女二年西組」の作中に出てくる二人の娘が被爆死して嘆く父親が市政で市長の片腕として活躍し供養塔を建てるために退職金のすべてを寄付した人であると知ったり、本1冊読んだだけでは頭の中を素通りしてしまう人たちが確かにそこでその時々必死に生きてこられたのだという肉付けがされて感銘した。
こうした歴史に触れるとき、特に戦争のことは、死者を数として認識してしまい、人として薄っぺらいものと感じてしまう。
14万とか20万とか実感のない数で呼ばれる人たちも、みなひとりひとり家族があり歴史があり、待っている人がいるということが文章の中からひたひたと感じられ、涙ぐんでしまった。
午前中でこの本は読み終わり、午後からは「朝、目覚めると、戦争が始まっていました」を読んだ。こちらは文字が大きいのですぐ読み終わる。
文化人、著名人たちが1941年12月8日に書き残した開戦についてのこと。まるでオリンピックでもテレビで見て興奮しているようなそんな文章が多く、気味悪かった。こんな風にあの日の思いを文章にしていたのか。どうやら、もう、2018年もこの時代と大差ないところに来ているようだぞ。
貸し出し延長したけど読み終わったので明日大手を振って返却に行こう。