内職が終わってしまったのでなんだか気が抜けてしまった。
時間をやりくりして一日動くことはなんだかんだ言って心地よい。しかもお手当までもらえる。
私は地底生物、あるいは自宅警備員なので人のいるところで仕事をすることを考えると死にたくなる。お仕事はしたいが、受けるダメージを考えるとなかなか踏み出せず、もうじきアラカンである。
まんぷく、時代考証警察になってしまいそう。
昭和17年で、家族でない人にお弁当を差し入れるくらい食糧事情はよかったのだろうか。もう配給だったんじゃないのだろうか。福ちゃんも友達ももんぺはいてないけど、国防婦人会のBBAに怒られなかったんだろうか。
清原なつのが新刊を出したと知って尼で頼んで月曜日に届いた。猫の話で「じゃあまたね」というタイトルなので愛猫とその別れみたいな話なのかな、清原なつのにしてはウェットな、と思っていたら、愛猫を語り手にした自身の子ども時代から青春にかけての記であった。
東京を離れる前の15歳の初夏ごろに「花岡ちゃんの夏休み」を買って読んで(その前に中学卒業の直前に友人Oにあらすじを聞いていた)、奈良に来てから「飛鳥昔語り」を読んで。
私がそんな高校生だった時、清原なつのはまだ大学生(どうも浪人されていたらしい)だったんだ。
自分の人生に不満はないけれど、それでも、自分のしたいことを健全に考えられる環境がもし私にあって、そのために努力することを学べていたなら、私ももうちょっと存在価値のある人間になれていたんだろうな、と、作者の生い立ちと引き比べて思ったりもする。
まあ、してこなかった努力よりも、今できる努力のことを考えよう。