父が、また以前の「すぐ怒鳴る人」に戻ってしまった。
時を同じくして、夫は、1日30回以上トイレに通うようになり、しかも、夜になっても1時間おきにトイレに行くので、これはただ事でないと病院に頼み込んで診察を受けたのだが、ペーペーの先生の診立ては「急性膀胱炎」で、5日間出された抗生剤をのんだものの効くわけがなく、ますます病み疲れ(体重すら減ったのだぞ、あの夫が!)5日目にまた病院に行ってエコーをしてもらったら、膀胱はおしっこでパンパン。
5日前とは違う先生だったので別の可能性を考えてくれたみたいで、そこから内視鏡の検査。
つまり、尿道が狭窄していたのだった。それで、足踏みしたり体をよじったりしながら30分トイレで戦っても、わずか30㏄くらいしか尿が出なかったのだ。
さてさてそこから夫の苦痛の始まりである。私は処置室の外にいたのでわからないが、婦人科の内診台みたいな診察台で束縛された夫は、局所麻酔ゼリーを使ったとは言え、太さの違う棒を細い順から入れられて尿道の狭窄部を広げるという、ほとんど拷問のような処置をされ、その傷の治癒のために、またしてもカテーテルを留置する羽目になったのだった。
扉の向こうのやり取りでそれを悟って、2か月間も苦しんだカテーテル生活にまた戻ってしまったのだと思うと、悲しくて悲しくてやりきれなく、人目もはばからず泣いてしまった。
そういう報告を、帰宅してから父に電話したのだが、私のちょっとした言葉選びに突っかかり、怒鳴りだした。
トイレに起きる夫よりも寝ていない(夫は起きてもまたすぐ眠れるけれど私は眠れないから)し、メンタルもボロボロのところの怒鳴り声に、いつもならへらへら笑ってやり過ごすところが到底無理で、涙声で電話を切った。
それでも、毎日電話は入れなければ、という義務感で翌日も電話をしたのだが、もう最初から不機嫌。
挙句、「お前と電話で話すのしんどいわ」と言う。
もう、私、プツンと何かが切れましたわ。もういいや。
「そう・・・?それやったら、もう、こっちから電話せんとくね。」と言ってしまった。
で、それから電話していない。
何かあれば、ケアマネさんでも救急隊員でも電話くれるだろう。
あの年まで、女に謝ることをせずに生きてきたのだからそのまま貫いたらいい。
ただ、私はもう知らん。
夫の方は、病院に行った日は激痛だったが、頻尿状態は回避されたので夜眠れるようになった。
カテーテルの痛みを再び味わうことにはなったが、地獄のトイレ責めよりはずっとマシだといっているのでよしとしよう。
尿道狭窄は一度なってしまうと質が悪く、何度も繰り返すものらしい。今回は外来でできたけれど、内視鏡で切開することになればまた入院。それでもすっきりと治る保証はない。
なんでかな。なんで?
次のお医者まであと10日ほど。その時にカテーテルが抜けて、尿道がちゃんと拡がっているといいんだけれど。
近畿も梅雨入りした。
正午ごろ、雨が降りだしたとき、少し風があって、窓の外から雨の降り始めのにおいがした。ひさしぶりのペトリコール。