この頃の私は、夜9時くらいには就寝して、だいたい11時くらいに夫のトイレに行く音で目が覚めてしまう。
その後しばらくして眠れるのだけれど、日付変わって1時くらいに起きて、後は4時ごろまで1時間おきくらいにスマホで時間を確認している。twiterなどを見ている時もある。
4時になったら起きだして、弁当が必要な日は作り、「コロナ対策で和室に置いてある前日に買い物してきて洗剤で周囲を拭いて干してあるもの」をあるべき場所に片づけて、それからアイロンをかけたり、雨じゃない日は庭で草引きしたりして、6時の夫の起床までを過ごす。
也々がいた時は、目薬があるので睡眠時間が6時間になった。
去年母を看取って、小間切れの睡眠のくせがついてしまった。
そして今年は夫の世話で、もう私の睡眠はズタボロだ。
夫の頻尿状態をネットで調べていて、夜間頻尿のある人は睡眠状態が悪いので寿命が短くなるとあった。
私は、どうも長く生きられそうにない(笑)。
若い時は8時間でも9時間でも眠れたのになぁ。
今欲しいものは、夫の健康と良い睡眠だな。まあ、10万円も好きだけど(えへへ)。
話は戻るけれど、夫の起床までのひとときで、2階の天袋にあるものを整頓したりもしている。
ずいぶんいろんなものを棄てた。古い手紙類とか、自分の描いたつまらない絵とか。
こういうの「断捨離」というのだろうか。そんな風に誰にでもあることみたいな名前を付けるのがイヤだ。
也々を喪って、母を亡くして、夫の健康が損なわれて、自分にとって大事なものが見定まったような気がしている。要らないものが増えた。思い出の類もそうだ。
これから老いに向かうのに足手まといのものは早めに片付けて置く。
なんて言って、棄てられないものもやはりある。
中学1年の時に母が月賦で買ってくれた百科事典が棄てられない。こんなのを天袋に入れて置いたら早晩自分のチカラで下せなくなるのに。それでも、あの貧しい暮らしの中で買ってくれたものをどうしても処分できない。
今日は今日で、小箱に入ってたこんなものを見つけ思案してしまった。
母と叔母とで、南青山かどこかのブティックを見て、ちょっとした雑貨のコーナーにあった小瓶。
これは多分、クローバーの種子で(瓶の裏側にクローバーの図柄が彫り込んである)、シールの文字のことばも愛らしくて。
中1から高1くらいまで、私のガラス小瓶収集時代があって、一時は100個くらい瓶を持ってた。もう7個くらいしか残っていないけれど。
こんなものが棄てられないんだよな。