・・・なんか、ソーリダイジン辞めるようですね。
オリンピックパラリンピック強制開催して、自宅でたくさんの人を医療につながないまま殺し、感染者に全部責任を押し付けて、自粛に必要な保障もせず、こんな国難に国会も開かず、市民の不満は一切聞かず、恫喝に明け暮れて、その挙句、選挙で勝てないから辞任ですか?!
どうせなら総選挙まで居座ればよかったのに。この国の愚かな国民たちは、首がすげ変わったらすぐに今の地獄を忘れてまた自民党に入れますよ。もう火を見るよりも明らかだ。
怒りは尽きないのではあるが、続きを書く。
8月30日(続き)
父の輸血が5時前から始まった。初めての輸血時にじんましんなどが起こる場合があるので15分程度観察するのだという。
外来は5時には閉まるから、観察が終わった後輸血が済むまで、救急外来の観察室に移動になった。5時20分ごろ車椅子にのせられて看護師さんと移動。
(父のために看護師さんは残業になってしまったわけだ)
観察室のベッドで父横になって輸血が済むのを待つ。
会計が気になったが、初めての輸血だとどういうトラブルがあるかわからないので追加処置の可能性があり、先に会計を済ますことはできないらしい。
観察室は最初は父一人だったが、さすが医大?で次から次へと患者さんが来てあっという間にベッドひとつ残すだけになった。
輸血は7時前にどうにか終わり、針を抜いてもらったのだが、血小板の少ない父はなかなか血が止まらない。
止血バンドをしたまま父がトイレに入ったところで会計の書類が来たので、看護師さんに頼んで会計に行ってきた。
薬の引換券をもらったが薬局の窓口も閉まっている。と、見ると、時間外の窓口があった。そちらで薬をもらう。
観察室に戻ると父はいず、隣の家族の待合室に座っていた。
会計済ませてきたよ、と言うと、うん、と父は言い、
「看護師さんがな、『奥さん会計に行ったで』っていうんや。『あれ、娘や!』っていうたら変な顔しとったぞ」
と、大変ショッキングなことを笑いながら教えてくれた。
・・・まあ確かに、白髪だし、マスクしてるし、服装も地味目で化粧っけもないしな。
もうしばらく待って止血バンドを外してもらったら血が止まっていたので絆創膏を貼ってもらった。
もらった薬をあらためてみると、次の診察まで2週間なのに7日分しかない。
でも、外来も薬局ももう閉まっているから聞きようもない。父には、明日にでも電話かけて聞いてみて、必要なら家からバイクで取りに出るから、と話した。
正面玄関はもう閉まっていて、救急出口から出た。正面玄関側にタクシー電話があるのでそこまで行こうとしたら、タクシーのロータリーのところに1台止まっている。すぐ乗れてよかった。
40分ほどかけて実家に到着。
晩御飯の支度はしておいたのであたためるものはあたためてすぐ父に出した。
「お前の分はよ?」と父が言うので、「一緒に食べるのはよくないから後で食べるよ」と言うと、「なんでよ!かめへんやろ!」と怒るので、「お父さん、そういうわけにはいかないよ。しんぼうしてよ」と言うと黙って食べていた。父が食後の一服(いつも玄関を出てタバコを吸う)に行ったのでその間にご飯をかき込む。
父は疲れすぎてなのか、輸血したせいなのか、妙にハイになっていてよくしゃべって、なかなか歯を磨きに行かないので弱った。
でもしまいに歯磨きをしに行ったのでその間に夫に連絡を取り、父の歯磨きが終わった後シャワーを浴びた。
シャワーを浴びて出てくると、父がまだ自室に行かず居間で待っていて、「お前、明日朝早うから帰るんやろ?」と言う。
「うん、なんで?」と問うと、「あのな、〇〇(夫の姓)に、不自由させてすまんかったな、ってよろしくゆうたってくれ。それから、お前にもえらい金使わせたな。おおきにな」と神妙に言い、それから自室に入っていった。
いつになく、しおらしい父であった。
この日のミッション終了。
夫の方からは情報なし。
10時から2時間ほど私は寝たが、その後は眠れなかった。父が0時過ぎにトイレに行く物音がしたので声をかけたが、「疲れすぎて眠られへん」とぼやきながら自室に入っていった。
8月31日
眠ろうと努力するが眠れない。アドレナリン出まくりな感じ。
4時になったのでもうこれはダメだと布団をたたみ、荷物をまとめ、父は寝ているようだったので物音を立てないように4時半ごろ実家を出た。
アドレナリンが出ているせいか、他に通るもののない道をバイクで走るとわーーーっと解放感。
家に近くなるころには夜が明けて車も多くなった。散歩している人も幾人も見た。
5時半ごろ家に着き、夫の朝食の支度と、実家で着ていた服の洗濯。
6時に夫を起こす。
7時過ぎに夫出かける。何か情報がわかったら教えてほしいと念を押す。
洗濯がんばる。
9時に医大に電話する。事務の方がカルテを見てくれて、担当医に問い合わせてくれるとのこと。
用事が済んで一息ついていると夫からLINEで、有休をとって家に帰るという。具合が悪いのかと思いギョッとなるが、正規職員の人はみなテレワークになり、そうでない人も自宅待機になったので、嘱託の夫も帰ることにしたらしい。
本来なら、職場もちの自主抗原検査を朝からするはずだったのだが、キットが本部からまだ届いていないのだという。
抗原検査ならPCRよりも遅れて陽性が出るはずだから明日の方がまだいいはずだよなどと返事する。
しばらくして夫帰宅。午前中は電話で上司や同僚と相談事。明日(9月1日)には抗原検査ができるだろうとのこと。
医大から電話がかかってくるかもしれないから(融通の利かない私は固定電話の番号を預けてしまった)家を空けられない。
少し眠ろうかと思うが寝られない。夫はグースカ寝てたが職場からまた電話があり起こされた。
おかえりモネの1週間分の録画(土曜日の再放送でまとめて録画する)を見る。
5時になって医大から電話がないので、もう今日はないだろうということになり、夫に買い物に連れて行ってもらう。
帰宅して晩御飯。
7時過ぎから猛烈に眠くなり、9時を待たずして寝てしまう。
9月1日
夫には、抗原検査の結果わかったらなるべく早く伝えてくれるように頼む。
8時前から買い物に行く。8時半に帰宅する。
10時前にいつもの父への電話をしている時に医大から電話があり、薬を出してくれると言うのでこれから取りに行く旨伝え、慌てて家を出る(薬の受け付けは11時までらしい)。
ギリギリか?と思ったがかなり余裕で病院に到着。しかし外来ではやはりしばらく待つ。
夫に、医大に薬を取りに来ていることをLINEしたら、すぐに返事が来て、夫の隣の人はPCRが陰性だったのだという。
全然情報がなくてわからなかったが、日曜日にPCRを受け、結果が少し前に来たらしい。
よかったーーーーーー。
その方も職場で他の人に感染させてしまったらどんなに肩身が狭いだろう、と思っていたし、大丈夫だとは思っていたけれど夫が曝露していないこともよかったし、父にうつさずに済んだのもホッとした。
しばらく待って会計の書類を渡された。いつもの会計の窓口ではない複雑な会計処理の対応をする窓口へ、とのこと。
父は後期高齢者で、年金の受取額が低いので非課税世帯なので、外来でのひと月の支払限度額が8000円なのだが、8月は医大に3回通って、最初だけでもう8000円払ってしまったので2回目も30日の3回目も0円だった。
だが、この日は9月1日で、本来ならば8月30日の会計で払うはずの足りない7日分の薬だが、月替わりしたので会計は別になるのだろうと思っていた。
しばらく待って番号札で呼ばれたのだが、会計はかからなかった。薬だけ7日分を受け取って病院を出た。
ずっと食欲がなかったが、心を占めていたことが2つまとめて解決したので、現金なものでお腹が空いた。
帰り道、少し遠回りだけれど生協によって買い物をして、店内のベーカリーでパンを買って、帰宅してから食べた。ひとりお祝い。
・・・というようなことが、この数日あったわけでした。
長文失礼しました。