恨み節

投稿者: | 2022年7月9日

昨日の夕方、記者会見していた病院の院長先生は、母が閉塞性動脈硬化症を患ったときの主治医だった。
つまり、母も夫も、ついでに父もお世話になった病院で、例のあの人(まるでハリー・ポッターだ、名前を呼ぶのも忌まわしい)は手術を受けたということだ。

父は2週間に1度、2単位の赤血球の輸血を受けている(これは現在の主治医の在宅医療で)。例のあの人は数時間で100単位以上の輸血があったとニュースにあったから、まさにじゃぶじゃぶという状況だったのだろう。

私にはどうしても書いておきたいことがある。

2年前、前立腺がんの夫が受けた前立腺全摘手術は、ロボット手術ではほとんど起こりえない吻合不全となって、しかも夫の場合は尿道と膀胱をつなぐ部分がかなり大きく口を開けてしまっていて(メジャーリークというらしい)、つながるまで2か月を要してしまった。
そして、普通の前立腺摘除術を受けた人よりも大幅に遅れて仕事復帰したものの、今度は吻合部に狭窄が起こり、尿閉状態となってしまった。
こちらとしては、やっと大きな穴がふさがって、これから順調に回復していくものと単純に思い込んでいたところ、トイレに行っても尿が10㏄とか20㏄しか出ず、すぐにトイレに行きたくなり、1時間に何回もトイレに行く状態が2週間も続いて、これは何かおかしいと不安になりながらも、診察の予約まで3週間もあるものだから夫もかなり我慢して、夜も寝られないような状態になって初めて病院に連絡を取ったのだった。
それでも初めは「次の診察まで待ってください」と言われ、とてもそんなに待てる状態ではない、診ていただけないのなら近くの泌尿器科に駆け込むけれどもよいか?と切羽詰まって聞いたら、それならば来てください、ということになり、予約外で診察していただいたのが研修医で、膀胱がパンパンな感じがするのに尿が少しずつしか出ない、と伝えているのに、「膀胱炎ですね」という診立て。膀胱炎経験者の私が、夫の様子はどうも膀胱炎ではないように思う。ちゃんと調べてほしい、と言い募ったのだが、それに対してこの研修医が言った言葉を私は一生忘れないし、今もしばしば夫とネタにするくらい、怒りを持っている。

「医療資源は限られているので過度な検査はできないのです」

そして、彼は自分の診立て通り「5日分の抗生物質を出します」と私たちに伝えた。なおも私が「これでよくならなかった時はどうすればいいんですか」と迫ったら、「また来てください」と。

無論、夫は尿道狭窄が進行していて針の穴ほどになっていたので、抗生剤が効くわけがない。
それでも夜もほとんど眠らずに5日間夫は辛抱して、結局どうにもならずにまた病院に電話をし、ところどころでトイレ休憩をしながら必死に病院まで走った。
別の研修医が夫の主治医に連絡を取ってくれ、尿道狭窄の可能性が指示されて、初めてエコー検査をしてもらえ、膀胱が尿で膨れ上がっていることがわかったのだった。膀胱には700㏄ほどの尿が入っていたらしい。その後内視鏡検査で尿道が針の穴の狭さになっていることがわかり、術後2か月苦しんだ尿道カテーテルを再び通すことになったのを知った時、どれだけ悔し涙を流したか。それでももしさらに放置されていたら腎臓にまで尿が上がって水腎症や腎不全になっていたかもしれなかったのだ。

ただのエコー検査をするだけでも「医療資源」という大仰な言葉を振りかざす、そういう教育をしている病院でもある。
夫のがんを診ていただき、今のところ(PSA検査は来週だが)何とか再発もせず、尿道狭窄はいまだに治ってはいないけれども、主治医には親身によく診ていただいていて感謝している。
でも、あの研修医の「医療資源」という言葉は本当に恨みに思っている。

その同じ病院が、100単位の輸血をする。もちろん私は昨日書いたようにそれを責めるつもりは毛頭なくて、本当に本当に助かってほしいと思っていたのだ。
必要な人に必要な医療を与えられる医療機関であってほしい、公平で正しい医療をできる限り提供していただきたい、ただそれだけなのだ。

あの研修医は、例のあの人にも「医療資源が」って言うんだろうか。