煙草と手

投稿者: | 2022年9月28日

父は愛煙家だった。

母(もまた愛煙家)が存命の頃、住設をやっている甥にエアコンを取りかえてもらったのだが、タバコを吸う部屋のエアコンの臭さに遅まきながら気づき、居間ではタバコを吸わない習慣ができた(寝間では相変わらず吸っていた)。
母は台所の換気扇の下、父は玄関ポーチでタバコを吸うというのが定位置となり、二人とも亡くなるまでその習慣を崩さなかった。

母が亡くなった後、実家に通う折に、なにか家事に手が取られている時でなければ、その「一服」に付き合って私も玄関ポーチに出るようになった。
ふたり玄関ポーチに腰を下ろして(私はタバコが苦手なのでなるべく父の風上に座るようにして)ぽかんと空を見ていたりした。
ぽつりぽつりと、母は何度も聞いて知っているだろう父の、職業ドライバーとしてのネタ話や、子どもの頃の話、中卒で就職した住み込みの工場の辛さ、世話になった運送会社の社長の話などなど、その口から聞いた。

普通の親子と違い、私が父と暮らしたのは高校1年の夏から大学2年の終わりまでで(その後私は下宿し、家に帰らぬまま結婚した)、そんな年頃の娘は血がつながっていたところで父親と話をするものでもなかろうし、私の思いは家の外ばかりに向いていたから、55歳という年齢になって初めて、非常にたどたどしく父と話をする娘という者を模索することになったのだ。

母の衣類や押し入れの不要なものなどをふたりで片付けた合間の一服。
借りていた畑を返すための「原状回復」の野良作業の後の一服。
2020年になり、父は春に脳梗塞、秋はバイク事故で脳内出血を起こし、どんどん体が弱り、実家に通う頻度も増して、でもどんな日でも一服する父と私は玄関ポーチに居並んで、お天気のこと、花のこと、父のリハビリのこと、母のこと、バイクのことなどなど、ぽつりぽつり話した。

2回の入院の後は、父の足取りは危ういものになって、座位から立ち上がって方向転換して玄関に入るという動作が困難になってきた。
一服同伴はその見守りも理由の一つになった。
そして、去年の夏、父は余命3年と告げられた。

それでも相変わらず父は玄関ポーチでタバコを吸った。相変わらずいろいろ話をした。
話題は、医大の先生や看護師さんのこと、通院が辛いこと、在宅になってからはいろんな看護師さんのことやリハビリの先生のことなど、お世話になっている方の話が増えた。そしてちょっとずつ、葬儀のこととかキャッシュカードの暗証番号のこととか大事な話が混ざったりした。

煙草を吸い終わると、父は念入りに地べたにこすりつけて火を消して、家に入り吸殻を台所のゴミ箱に捨てに行くのだが、この2か月ほどは、台所まで歩くのもおっくうそうに見えたから、吸殻を私が預かって台所に捨てに行くようにしていた。
それくらい、父は衰えていたのだった。でも、命がどうこうまでのこととは、まったく思わなかった。
  
  

父が亡くなって、葬儀社に運ばれて、葬儀の打ち合わせをした。
父が言い遺していた通り、母と同じ無宗教で送る、ということになった(母の時に「普通の仏式の葬式にしてほしい」と泣いて頼んだ弟の考えを尊重してくれという言葉も遺していたが、弟は父の意思を汲んでくれた)。
式場の司会の方が母の時と同じ方で、私が父の生い立ちや人と成りを伝えると、上手にまとめてくださり「お別れ会」を進行していただけた。
弟の職場関係からは母の時以上にたくさんの花が寄せられ、父の棺はあふれるほどの花で飾られた。
父の大切なものが棺の中に入れられた。
母の写真。愛犬の写真。大ファンだった松山恵子の写真。自慢だった(日本の道路を走る車ならどんな車種でも運転することのできる)免許証のコピー。一杯のビールと、それからタバコ。
「9月になったので・・・秋のお花です。娘さんが胸元に添えてあげてください」とリボンのついた花が私の前に差し出された。父が子どもの頃、遊んでいる野山で普通に咲いていて、今はもうどこにもないリンドウの花だった。
「お父さんが好きって言ってたリンドウだよ・・・」
私は、父を亡くした娘の様に、泣いていた。

お骨になって家に帰ってきて、母の遺影と父の遺影が並んだ。
その下で父のアルバムを見ると、3年間父の話を聞いてはきたけれど、それは父の人生のほんのひとかけらでしかないのだと思い知らされる。聞かれなかったこと、話せなかったこと、そもそも語るまでもない膨大なことがらで人生はできていて、人の死とともにそれはすべて無になる。記憶はそれを持っている脳が滅びればすべて闇となる。
怒鳴る父、倹約家の父、生真面目で努力家の父、甘ったれの父、皮肉屋の父、私の知ってる父は父のわずかなわずかな部分で、父はブラックボックスを抱えたまま旅立ったから、もう私は父を知ることはかなわないのだな、と分かった気がした。

 
 
あれは8月の初め頃だったか、父が玄関ポーチでの一服を終えて家に入ろうとした時、吸殻を受け取ろうと何も言わずに右手を出したら、何をどう思ったのか、父が吸殻を左手に持ちかえて、差し出した私の右手に握手した。
「え」一瞬うろたえて、あ、ちがうちがう、吸殻、なんて言って、あはは、なんて(ちょっと照れかくしみたいに)笑ってしまった。
父の、指の長い肉の薄い大きな手。私とは似ていない手。あたたかい手を、あれから何度も思い出す。