幽霊の話

投稿者: | 2023年8月21日

星野源の「知らない」という曲のPVを時々見る。
(おそらく)身近な人の死に接した心情の描き方が私の考えるところにしっくりくるのでこの曲自体が好きなのだけれど、このPVのロケ地が東京中央区の佃で、私が母に手を引かれて通ったみちてる保育園への道が映るので、本当に懐かしく何度も見てしまう。
このPVには、登場人物の男(星野源)が暮らすマンションの様子が映されるのだが、男の生活動作に挟み込むように一瞬、違う誰かの動作が映り込む。
それをたしかライナーノーツか何かで「幽霊」と星野源が書いていたように思う。
なぜこんな映像にしたのかな?と不審に思っていた。死をオカルトに近づけてしまうと、たちまち絵空事臭くなってしまうような気がして。

昨日、台所で洗い物をしていて、マグカップを洗っていた時にふと、実家の台所で父が自分の飲んだ後のコーヒーカップを洗っていた様子が浮かんだ。私と違い細くて長い指はちからが入りにくくてそれでも父は癇性なほど丁寧なのでくたびれた台所スポンジでキュッキュ、キュッキュと時間をかけて洗っていた。
ああ、そうか。
私は生きていて、毎日同じようなことを繰り返して生活している。父が死んでからも355日台所でコップを洗ったりする。そんな動作をしている時に、ふと父の動作を思い出す。死んだ人のことをそうして思い出す頻度はいつか少なくなるのかもしれないけれど、私が生きているうちはやっぱり時々ふいっと父の記憶が訪れて自分の動作と重なる。
あのPVはそんなことを表現していたのだな、と思った。
これは、その人にとって「かけがえのない死」を得たものしかわからないことなのだろう。
記憶の中のことで、それは誰にも見えない。でも確かに死者は訪う。ふらりと。気まぐれに。そんな日々が続く。
これは確かに「幽霊」かもしれない。

  
   
 
今日も暑かった。なんか頭がくらくらしてつらい。
暑気あたりかもしれないなぁ。
朝は歩いてきたけれども、明日は行けるかな・・・


和泉葛城山でアサギマダラと同じリョウブの木にきていた蝶。
見たことのないミドリシジミの仲間だろうか、とワクワクして調べたのだけれどなんか違う。
もしかして?と思いセセリチョウを調べてみたら、同じのがいた。
アオバセセリという蝶のよう。初めて見た。名前がわかってよかった。
まだまだ知らないことがあってワクワク。