夜明け前から雨足が強くなって7時ごろはざんざんぶりだった。
夫は9時前に送迎車で健診に行ったので、洗濯したり、洗面所を掃除したり、洗濯機のゴミとリネットのカビを取ったり、トイレを掃除したりした。
1時を過ぎても夫から連絡がないのでお昼を勝手に食べた。
夫は2時半に帰ってきて、お餅を焼いて食べていた。胃カメラの麻酔が残っているので4時ごろからずっと寝ている。
晩御飯も遅めにしないと。
書こう書こうと思って書いてなかった。
しょーもないことですよ。
父が医大の通院を止めて在宅で輸血を始めるようになって、もともと便秘気味な人だったけれどもそれまで服用していた酸化マグネシウムが効きにくくなったので、訪問診療の先生が薬を調整しましょうと、センナの下剤を処方された。名前が「ヨーデル」。関西風味なネーミングだと思っていたけれど、今調べてみたら大阪の製薬会社のものだった。
父は便通に神経質で、下剤をすごく嫌がったので、この薬にも文句がいっぱい。それでも、便通のことを一所懸命考えてくれる訪問診療の若い先生の言うことをむげにはできず、量を加減して(それは先生からもそうするように指示があった)何とかのんで、努力して排泄していた。
いつだったかの訪問診療の時、終わりに薬の相談を必ずするのだけれど、父が
「あのよ、あれ、『デルジャン』無うなったから、くれ」
と言った。
母の訪問診療の時にも来ていて、父が心安かった(ちょっとかわいい看護師さんで、父は内心気に入っていたんだろう)K看護師さんが、「デルジャン?あれ?なんやろ?ヨーデルかな?・・・あ!デルジャンって、パチンコ屋さんやん?」
先生も看護師さんも大笑い。父も照れ笑いしていた。
そう、もう今はつぶれているけれど、駅前通りから国道に出た、町の中心部にある老舗のパチンコ屋さんの名前がデルジャンだったのだ。ちなみに、かつて母が通っていたパチンコ屋でもある(実家は父が腰を悪化させて無職で収入がなく母がパチプロもどきのようにパチンコのもうけで食べていた頃がある)。
父は下剤の名前が間違ってインプットされてしまったのか、度々デルジャンと言っていた。
ヨーデル→デルジャンは父が死んでからもついつい何度も思い出す。トイレ掃除に苦労したことや、小さい母がバイクに乗って通っていたパチンコ屋のことなど、連想が尽きなくて、寂しくなったりする。