今日は夫は半日だけ出勤だったので、野菜を買いにつれて行ってもらった。
帰りにテレビのCMでおいしそうだったタンドリーチキンのカレーをテイクアウトしてお昼に食べた。のち夫出勤。
私は洗濯や台所など。
夕方からは馬のお医者さん。
朝は頭痛がなくなっていてホッとしたんだけれど、夕方からまたちょっと痛い。
お盆に母の写真に、温室みかんのパックを供えていた。毎日暑いから傷んでいないか確かめていたけれどいっこうに傷む様子がない。それでももう2週間にもなるのでさすがにアカンやろうと下げた。
温室のだし、お供えしていたものだし、中身スカスカでマズいだろうとは思いながら、おやつにイッコ剥いてみた。
皮がぶかぶかした感じもないし、揮発した香りも良い。クチに入れたらそりゃ旬時のみかんとは違うけれどもそこそこおいしかった。
夏にみかんが食べられるとは贅沢なことだ。
母のすぐ下の妹が1971年だったか、胃がんで亡くなった。あっという間に病気が進んだので今思うとスキルス性のものだったのかもしれない。まだ24歳で、2歳と0歳の娘がいたのに、である。
食べ物を全く受け付けなくてガリガリに痩せて、そんな叔母が死ぬ直前に「みかんが食べたい」と言って、母たち兄弟は途方に暮れた。真夏だったのだ。
母のふたりの兄は心当たりを歩き回って、銀座の有名な果物屋にも行ってやはりなくて、ふと思いついて、東京駅に行って新幹線の客が買って食べる冷凍みかんを買ってタクシーを飛ばして病院まで行き、叔母に食べさせたのだけれど、ひと房クチに入れたらやっとのことで飲み込んで「もういい」と言ったのだそうだ。
その晩に叔母は亡くなった。
当時私は小学2年生だったのでみな母からの伝聞であるけれど。
今ならそんなに探し回らなくてもふつうにスーパーでみかんが買えただろう。叔母のがんも、今でも難しいことだとは思うがもしかしたら治るということもあったかもしれない。
半世紀も前のことだもの、仕方ないのだけれど。
温室みかんを食べながら、そんなことを思い出した。この叔母の話、この世で知っているのはもう、私と、もう付き合いのなくなってしまった母の末妹しかいない。
そのうちに朽ちてしまう記憶。なので、ここに書いておく。