エンストなど

投稿者: | 2021年11月19日

昨日は、バイクで実家に行く途中、停止線で停止しようと減速したらエンストを起こしてしまい、15分ほどずっとキックしてようやくエンジンがかかって、それ以降はなんとか無事に走ってくれて行き帰りできた。
前のバイクは乗り始めて6年過ぎるころからたまに減速するとエンストという症状があって、そのうえあちこち壊れてきたので仕方なく9年で買い替えたのだけれど、今度のは早すぎる。だってまだ4年目なのに。
長距離走るし、途中全くバイクショップなどないから、エンストはこわい。どうしたものか。
今朝は右のふくらはぎが筋肉痛。それでも、延々重いバイクを押して帰ってこないで済んだだけでもヨシと思わなければ。

昨日の朝は雲が厚くて、晴れ予報が信じられなかったけれど、実家に行ってしばらくしてから晴れてきた。父を昼にリハビリに送り出してから、掃除機をかけたり(父は耳が遠いけれど騒音に過敏なので家にいる時は掃除機をかけられない)トイレ掃除したり、布団を干したりして、2時ごろに終えて実家を辞した。
   
   
   
水曜日にはイカリソウの実生の鉢増しを2トレーできて、同じ年にポット上げしたのはあと2トレー(70ポット)残るだけになった。週末まで気温が高そうだからなんとか明日中に終えたい。頑張ろう。
用土がなくなっちゃったので水曜日の内に研いでおいて、昨日実家から帰ってきてから配合してバケツに収納しておいた。
    
    
    
このごろ、時々夕方に再放送している「映像の世紀」を見ることがある。
この間やってたのは「東京 夢と幻想の1964年」という回だった。
私が生まれたのは1964年で、前回の東京オリンピックの年だ。番組では、オリンピック以前の東京の街の様子が様々な映像で現れ、常に大渋滞の都心部の道路、和服で日常生活する女性や平気であちこちにゴミを放置する人々など、ビックリすることも多かった。
1964年の夏は東京は異常な渇水で、断水もあり市中に給水車が走り回っていたらしい。2月に生まれた赤子を抱えた母はどれだけ苦労だったろう。どうやって給水車から水をもらったりしていたのだろう。
そんなことは母の口から聞いたこともなく、もはや聞くすべはないとこういう時に悟るものだ。
 
本に記される歴史は全く「本物の歴史」の大鍋のアクを掬い取ったようなもので、人一人生きているそのいのちの中にそれぞれ歴史があり、その歴史は誰かに語ることがあってもそれは極々わずかなもので、人の死と一緒に歴史は葬られるのだ。母が生きながら世の中の様々な出来事にどう考えどう働いたのか、私はもっと聞くべきだった。
   
   

夏に苗を買ったポットマム。手間いらずでボール状に咲きそろう、ということだったのだが、スカスカになって咲いているのでやっぱり私は下手だ。