今週は父の輸血だった。
今のところ、輸血して2週間経つとヘモグロビンの値が7を少し切る、くらいになって、輸血する、という状態で、よくなることのない病気だから現状維持しているというのはまあ安心、ということのようだ。
医大の先生からは余命3年と言われて、そのうちの10ヶ月弱はもう過ぎたのだけれど、今のところ白血病に移行する気配もなく、深部の大出血とか感染症にならない限りは死なない、みたいな感じ。
そのうちには病気も進行するのだろう。そうなればどのぐらいかかるかは別として死ぬんだろう。
原付の介護通いもどうなるか。こっちも遠からず還暦だしどこまで続くか。あまり長いこと続けたくはないというのが本音で、だからと言ってすぐ死なれたりするには心の準備もなく、もう3年前からずっと、身内の生と死の急流の中に放り込まれたままで溺れもせずに流れている。
父が死んだら、実父の安否を知りたいものだと考えていたりした。
このごろ、こんな人生も案外悪くないと考えるようになったので、この命を与えてくれたことだけは感謝の言を伝えておくのもいいかもしれない、などとも思ったのだが、あちらはあちらで家庭があることだし、晩年の実父に連絡を取るようなことが何かの余禄欲しさと受け取られたりすることもあるかもしれぬと考えると、それはそれで癪、というか、あちらを頼らず育ててくれた母にも申し訳ないことだとも思うので、結局やっぱり連絡を取ったりすることもないのだろうな。
この命の間に、実父のみならず、離れていったものたちも多々あるけれど、少なからず遺恨もあり、向こうからもそれ以上に憎まれたりもしているだろうとも思いつつ、まあ、せっかくだから幸いに日々を重ねてほしいと願っている。
・・・ということを、こんなご時世になってしまったので、伝えてみてもいいのじゃないか、などと思ったりしたこともあった。
私は、どうもおっちょこちょいで、要らぬことをしがちなのだ。浮かれて、考えなしに動いてしまうのだ。
こちらにも遺恨があり、向こうからもそれ以上に憎まれているようなのに、誰が私の祈りなど聞きたいものか。
そんなこんなで、祝いの言葉も言わないで、今日も終わるのであった。
とにかく、今は忙しいから。
そのうちに、この流れから陸に這い上がれる時が来たら私ももっと違う考えを持てるようになるのかもしれないが、今は芸能人が立て続けに首を吊ったって、私はここで踏みとどまる、今は死んでたまるか、と闘志がわいてくるんだ。
とにかく、今じゃない。
バラ「ロックンロール」。
昨日は、録画していたRCサクセションのライブ映像を見た。大好きな「指輪をはめたい」が流れて、ゴキゲンだぜ、べいべー。