数日、有名人の訃報が目立った。
少女の頃、アニメヲタだった私には小林清志さんと大竹宏の死去は感じるところがあった。
小林清志さんについてはルパン三世の次元大介の声の人、という表現でどこからも異論のないところだと思うけれども、大竹宏さんについては、ニュースの見出しが「ブタゴリラ役」となっていて、私は「キテレツ大百科」は毎週見ていたのであるのに声を当てていたのがご当人であると知らずにいたのでびっくりした。そうだったのか・・・
私にとって大竹宏さんはニャロメの声の人、またはピンポンパンのカータンの人、なので、いやはや、年齢を重ねるというのは恐ろしいことである。加えて、小林清志さんが次元大介の声を50年間演じたというのも追い打ちをかける恐ろしさであった(まあ、ほとんどの人にとってそうであっただろうが「ルパン三世」の第1シリーズはリアルタイムでは見ていなくて夕方の再放送時に初見というクチであるので、私にとっては正味45年ほどの次元大介=小林清志さん、ではあるのだが)。
昨日は三宅一生さんの訃報もあった。8月5日に亡くなられたというのもめぐり合わせの妙を感じた。
小学4年生の時、実父に与えられた「八月がくるたびに」という児童向き書籍で、私は原爆に出会った。
昔戦争があって、東京大空襲の中を、実父の母も、母の父も逃げ惑い、命を得た。自分の生まれ育った土地がかつて焦土であったことも知っていた。
でも、原爆は、肉親を襲った「普通の兵器」と全く異なるものであることを原理も何もわからないまま直感的に悟った。
怪我も火傷もしなかった人がだんだん具合が悪くなって死んでいってしまう、何年か経っても突然病気になって死んでしまう、それが恐ろしくてならなかった。
私はこの本が怖くて、新聞で何重にもくるんで、机の足下の一番隅の他の荷物の陰に隠した。夜、眠れない時にふと二段ベッドの上から机の方を見て、本のことを思い出し、怖くて怖くて気が変になりそうだった。
中学生になってから、以前にも書いたことがあるけれど、母が百科事典を買ってくれて、私は隅から隅までむさぼり読んだのだが、その中で一番何度も読んだのが「放射線障害」の項だった。
被爆して怪我も火傷もなかった人がどうして2週間も経つと死んでしまうのか、それがわかった。
学校の図書館でも百科事典(そのシリーズは全項目があいうえお順になっているものではなくて、分野別に1巻ずつまとめられているものだった)の「人体」という巻を何度も何度も読んだ。
それから、本のあるところに行く時間があれば、原爆のことを知ろうとした。大人になってからは購入して読んだものも。たくさんたくさん読んだ。ルポルタージュも創作も。
テレビの報道番組も、ドラマも、映画も、観られるものはできるだけ見てきた。
人間だけじゃない、生命の設計図と、核は共存できない。核兵器は絶対に廃絶しなければならない。
それは私の大切な思想の芯のひとつになった。
若い時は毎夏署名集めに歩き回ったものだけれども、今はそれもかなわない。
せめて祈ることだけでも、というのが、6日と9日のエントリーです。
「八月がくるたびに」の本は、東京から奈良に転居の時に持ってきたのだけれど、引っ越しの荷物を開梱しないまま倉庫に入れていて、私が大学3年の時に下宿してそのまま実家に戻らず結婚してしまったので、倉庫に入れられたまま母が処分してしまって今はもうない。
一昨年、夫が入院していたときに、院内をうろうろしていて図書コーナーに昔とは違う装丁の本を見つけてしばし眺めた。もうそんなに怖くはなかった。以前の装丁の「ゲージツ家クマさん(篠原勝之さん)」のイラストが怖さを印象付けたのかもしれない。今、クマさんは奈良に在住とのことでそれもまた因縁を感じる。
左はまだ二十代後半、土方飯場で描いた『八月がくるたびに』。理論社の小宮山量平社長がおおえひでさんの原稿を渡してくれ描いたモノだ。初めて絵を描いてゼニを貰った本だ。右はその後、愛蔵本になり表紙を描きかえた。両方もすでに鬼籍のヒトけどやさしいコトバをいただいたが、世界はまだ戯けている pic.twitter.com/KIswQ54dWY
— 篠原 勝之 (@ge_jitsukaKUMA) August 9, 2022