長い野菜の日の終わり

投稿者: | 2022年9月11日

8月31日に自宅で倒れた父を午前9時半に訪問看護師さんが見つけて、地元の医療センターへの救急搬送を受けたのだが、多発性の脳内出血を起こしているのがわかり、命にかかわる危険な状態だと医師に告げられた。
いったん帰宅し医師の連絡を待つつもりにしていたら、私が自宅に着く前に父の容体の急変の報。
今日明日の命ということになり喪服と数日の宿泊の用意をして、急きょ休みを取った夫の車で実家に向かった。

実家に着き、とりあえず買って行ったマクドナルドのハンバーガーを食べた。冷めていたし、味なんてわかるものじゃない。
居間のこたつテーブルを隅に寄せて、二階から布団を持ってきて敷いて横になった。午後8時をまわっても病院からの連絡がないのでとりあえず仮眠を取ることにした。ことが起これば眠れないのだから。
といっても、私のことなので眠れるはずもない。横になりながら持って行ったタブレットをいじっていた。

その知らせが来るとき、ドラマなんかでは登場人物の何気ないふるまいを遠くから映して、ふと電話などにフォーカスし、あ、悪い知らせが来るのだろう、とこちらが思ううちに電話が鳴りだす、なんて演出がされるけれど、実際にはごく当たり前に突然電話が鳴り、その時が来たのだと知るものなのだ。
午後10時12分。
「呼吸の状態が悪くなってきたのですぐ病院に来てください。でも間に合わないかもしれません」
すぐに身支度して戸締りして実家を出た。車に乗ったところで弟にも連絡した。「俺らもすぐ行くわ」
夜の道を病院まで走った。救急受付から病院に入りHCUに入ったらすぐに中に通してくれたが、看護師さんが「先ほど・・・間に合いませんでした」と。
父は死者の顔になっていた。
しばらくして担当医師が来て、死亡確認。午後10時40分。

間もなくして弟夫婦が到着した。無言の父に対した。看護師に促され、まだぬくもりの残る父の手を弟は握った。

弟は、今でいうモラハラの父に高校進学を妨げられ、中卒で東京の電設会社に住み込みで働きに出た。父が腰痛で職業ドライバーを続けられなくなると実家に連れ戻され、地元の電設会社に就職して家計を支えた。
結婚して一時は別に住まいを構えたものの、妻の妊娠をきっかけに同居することになり、また搾取され続けた。いびつな家族関係が弟夫婦の間にもひずみを生じさせ不和となり、弟は不倫に走り、子ども二人を手放して弟は離婚。
その後再婚して実家を出た後も両親の年金生活が始まるまで給料の半分を両親に渡し続けた。

弟は自分の青春を父のために犠牲にした。だから、父の老いは私が一人で引き取らなければならないと私は覚悟して、介護にあたってきた。
そんな弟だから、父にいくら冷淡でも仕方ないと私は思ってきた。それなのに、父の死の枕辺にあって、弟は嗚咽した。ぐちゃぐちゃな顔でうなだれて、妻に背中を撫でられていた。
恩讐のかなた、というのはまさに弟の思いなんだろうな、とふと思った。

HCUにいられる時間は長くなく、エンゼルケアのため私たち4人は家族面談室で控えることになった。
葬儀社を決めて遺体の搬送を頼むよう看護師から告げられ、母の時もお世話になった葬儀社に弟が連絡を取り、日付変わり0時半に来ていただくよう手配された。
担当医師が来て、父の場合自宅で倒れていた後の搬送からの死亡という経過で、司法解剖が必要かどうか警察に判断してもらわねばならないらしい。
父の前日からのことで分かっている範囲を聴取された。前の日の夕方に電話をしていること、その後に配食サービスを受けていることを伝えたが、それから後のことはわからないと伝えた。
夜半に起きてトイレに行くことは度々あったようです、と言い添えて、あ、と思い、日付が変わると母のために水を汲み置きする習慣のことを告げ台所にその水があったことを話した。だから日付が変わるまでは普通にしていたはずです、と。
一旦去った医師が戻ってきて、警察に連絡したところ事件性はないということで、このまま葬儀社に遺体を搬送してもらえることになった。

面談室で、とりとめもなく話をしていた。弟は泣き笑いでマスクもびちょびちょ。
言っておかなければ、と思い弟に、
「若い時代を犠牲にして家を支えてくれたこと、お父さんに代わって私が礼を言うね」
と言うと、弟の妻は
「でも、それはお父さんに直接言ってもらいたかったです」
と少し語気荒げに言った。
いい妻なのだ。弟の父に対するわだかまりもそれを口に出せない弱さもわかっていて弟を守ろうとしてくれている。
「弟の代わりに言ってくれてありがとう。ホンマにそうやな。私に代わりに言われても弟なんもうれしないもんな」
それから皆、少し黙ったり、また些細なことをしゃべってみたりしているうちに日付が変わり、看護師さんがきて霊安室に案内された。葬儀屋さんが来てストレッチャーに父はうつされ(弟も手を貸し)車に乗せられた。

遺体はもう家には帰らずに直接葬儀社に運ぶことにした。
別々の車で葬儀社に向かった。

葬儀社であらかたの打ち合わせをしてあっという間に2時になり、弟が一旦妻を自宅に送り届け戻ってきて、父の枕辺に缶ビールをおいた。朝までついていてくれるというので私と夫は実家に引き上げることにして葬儀社を出た。
朝4時に起きた野菜の日(831)の26時。こうして終わった。

葬儀のこと、その他もろもろ、特筆すべきことがあるのだけれど、またちょっと落ち着いてから。