人間こわい

投稿者: | 2024年9月16日

水やりをしようかな、どうしようかな、と悩んでいるうちに雨が降ってきた。土砂降り。
ちょっとうれしい。

今日もドラマ廃人なのだった。
映画もドラマも、観たいのはいくらでもある。ゆっくり観られる時間があるのは幸せ。

昨日、「光る君へ」を見ていたら、道長の御嶽詣というのをやってて、えー?吉野山の金峯山寺に行くのにそんなに「ファイトー!いっぱーつ!」みたいなところ登らないでしょ~?山上ヶ岳の修験道じゃないんだからー、なんて思いながら見ていたんだけれど、当時は吉野山から山上ヶ岳までが金峯山寺だったのだと後から知った。そりゃーリポDも要るわ(ないけど)。
平安時代、あんまりたんぱく質も摂らないし筋肉つかないような暮らしだろうし、今の日本人より多分ものすごく小さいのに、女の人だって徒歩(かち)で京都市から奈良県桜井市の長谷寺までお参りに来たり(「玉鬘」)御嶽詣したり、よくやるわ。
望みがあって、それを叶えたいという強い思いがあって、労苦を代償にすることもいとわないのだな。
大きな望みを持つのはしんどいことだな。

今日、スレッズで読んだ誰かの投稿。
薬局で院外処方のお薬をもらったときに薬の在庫が足りなくて、不足分が後から宅配で送られてきたのだそうだが、そこにお詫びの手紙が添えられていたので感激した・・・という内容の投稿をされて、いろんな人からコメントがついたのだが、その中に、「私は薬剤師をしていますが不足のお薬をお送りするときには必ず手紙をつけています。突然薬だけ送られて来たら不快だろうし当たり前のことだと思うし、感激するのは大げさです」(だいたいこんな意味です)というのがあって、もとの投稿者が気分を害してそのコメントをスクショしさらしていた。

いろんな人がいて、人の話に水を差さずに居れない人もある。まず否定から入る人もある。
別に悪意はなくて、本人はふつうに受け答えしているつもりで、不快を与える人もある。
この薬剤師さんがどういうつもりかわからない。
もとの投稿者が深く考えすぎなのかもしれない。
それでも、
親切にしてもらってうれしかったのにその喜びを独り言ちたら否定された!
と投稿者は感じたのだ。

ああ、めんどくさい。
私はほんとうにめんどくさいのだ。
自分が感じたことを話す。善意でそれを受け取ってもらったとしても、帰ってくる言葉に刃がないとは言えない。
悪意で受け取られたらもちろん恐ろしい。
相手の言葉が、本当なのかウソなのかもわからない。
こちらの言葉に悪意が無くてもそれを善意と受け取ってもらえる保証はない。
相手の腹を探りながら、相手を傷つけないよう誤解を生まないよう言葉を発することが困難だし、相手の反応から正しく意図を汲むことも難しすぎる。
疲労する。困憊する。できない。ムリ。

トラちゃんで、娘の優未が継姉ののどかとけんかして蹴っ飛ばし家出して、山田轟法律事務所に逃げ込んだ時、轟の恋人の遠藤に
「口や手を出したりするってことは、変わってしまうってことだとは、覚えておいてほしい(中略)その変わったことの責任は、優未ちゃんが背負わなきゃいけない。口や手を出して、何の責任も負わないような人には、どうかならないでほしい。」
と諭される。

口を出したら、その結果は引き受けなければならない。そうだよね。
だから私は、人と話すのはしんどい。