今日は、母の誕生日。
生きていたら81歳だ。
子どものころ、母が死んでしまうのではないかといつも恐れていた。
小学生のころ、タクシーに乗っていて追突されてむち打ちになり何か月も寝たきりになった。
頭痛でもよく寝込んで、薬局に「バイエルアスピリン」を買いに行った。
母子家庭になったころ、毎朝の様に狭心症の発作を起こして、近所の診療所のお医者のポケベルに私が電話して来てもらった。
中3で私が長期入院した時、見舞いに来てもう家に帰るころだと思って家に電話をかけたらいっこうに出ず、公衆電話をずっと占拠して1時間以上電話をかけ続けた。きっと事故に遭ったに違いないと思うとダイヤルを回す指が震えた(結局、母の実家に寄って夕食を食べていたのだと後でわかった)。
高校生になって奈良に来て、新しい姑にいびられた母は睡眠薬を大量にのんで自殺を図った。父(養父)は泣くだけで、水を大量に飲ませ薬を吐き出させて救急車を呼んだ。
今なら、親が死ぬかもしれないと子どもに思わせることそのものが虐待なのだと知っているけれど、あのころは私は本当に本当に心配で心配でたまらなかった。虐待だなんて思いもしなかった。
成人してからも、結婚してからも、母が心配という「重し」を私はずっと背負って生きてきた。
私がアラカンになるまでは何とか生きてくれたので、結局シヌシヌサギだったけれど。
よくもったな。
それでも、やっぱり、74歳は若いかな。
ママ、たんじょうびおめでとう。生んでくれて、ありがとう。
もし気が向いたら、そちらで私を守ってください。
