あんまりキレイだったので食えないのに買ってきてしまったリンゴ。
この本、1988年時点でのイマーノさんの半生を聞き書きの形にしたもので、現在までに世に出た書籍の中で最も情報量の多い本だと思う。
亡くなってからいろいろ関連本が出た中でこの本の復刊も噂されていたのだが、今まで実現していないところを見ると、事務所からOKが出なかったのか。
この本の内容を引用という形で取り上げている雑誌や書籍も多く全部を読んでみたくて、足を運べる古本やという古本屋は全部探したのだけれど得られず、しかし、ネットで売買される価格はなかなかとんでもなくて。
オクの出品を監視して妥協点を探すこと1年余り。
・・・
読み終わって、これまで他のいろんなところでイマーノさん自ら語っている暗黒期について、余人には耐え難い状況でもこの人は強くしたたかに乗り越えたのだろうと一人合点していたことに気がついた。
たとえようもなく荒んでいたのだろうと思う。私などが想像することのできる程度よりはるかにひどい状態に。
例えば、「ひどい雨」という歌は、打ちのめされた男が、自分の巣にいる女に憩いを求める歌だと私は思いこんでいたけれど、そうじゃないのかもしれない。
現実からのつかの間の逃避の手段として快楽を求めているだけ、自分の巣の女じゃなくても、どこの誰でもいいのかもしれない。
そういう頽廃に身を置いたことはないけれど、そんなところにしか居場所がないという状況も人間にはあるものだ。
むしろ、そこまでいって、元に戻るだけじゃなくて、よりいっそう輝く場所に躍り出たのはやはり並みの人ではなかったということなのか。
そんな風に読み込んだつもりになっていて、今日はまた厳しい言葉で目が覚める。
「群像」という雑誌に川崎徹が小説を書いている。
「会話のつづき ロックンローラーへの弔辞」
その中の終わりの方の一文に
知ったつもりの内側など外側に過ぎなかった。
と。
こんな歌を作り歌う人の内面を知りたいと思う気持ちは私にとっては自然なものだけれど、決して内面に行きつくことはないのだな。
浅ましいことだけれど、これが私のアプローチだし。
しかし、道はこれで行き止まり。後は歌からたずねよう。