ぐるるんぐるるん

投稿者: | 2014年6月26日

いや~~~
朝からめまいがひどくて、頭が地べたと仲良くなりたがっていましてな~~

しかし、前回サンパツに行ってからもうずいぶん経つので、しかも年取ってきたからか髪の毛がなんか異様にうねるので、まとまりつかないというかバクハツというかひどい状態で、1500円ビヨーインに是非とも行ってきたいという希望もございまして。

煩悶だなぁ。

おとといあたりから季節がしっかり変わった。
梅雨というのは、このあたりでは、うるおいあって過ごしやすい時期とムシムシと暑く不快な時期とがあると思うんだけど、もうムシムシ状態に入ったようだ。
昨日は室温が30℃になったので犬のためにエアコン入れた。

私があんまり外に行かないうちに季節はどんどん進んで、アカメガシワの花のよい香りも薄れてきたし、田んぼに二上山が映らなくなった。
いやだなぁ。夏はいやだなぁ。

 
 
話変わるけど、この間テレビで、中国の少数民族(たしかチワン族)の人が夏至に犬を食べる祭について放送していて、その日に私のtwitterのタイムラインに、「野蛮な風習ヤメロ」みたいなtweetが見られた。
テレビでは皮を剥かれた犬を市場で売っていたり、ぶつ切りにした犬を煮込んだものを人々がおいしそうに食べていたりするシーンもあった。

私は自分が飼っている犬をとってもかわいがっているし、他所の犬も好きだし、たくさんいる哺乳類の中で犬が一番好きだと言ってもそう間違っていないと自覚しているが、それでもああして犬を食べる人々を間違っているとはまったく思わない。

「牛は食べるくせに」と言われて、「私は牛は食べません」としてやったりのtweetをしている人もいたけど、私は問いたくなる。「じゃああなたは、生物以外のものしか食べないのですか?」と。
私たちはそれが動物であれ植物であれ、生きているもの以外で自分の命を継続させることはできないじゃないか。
「犬はダメで牛はよい」も、「動物はダメで植物はよい」も同じじゃないか。

どのみち私たちは、殺し続けなければ生きられないのだ。
犬を食べることが文化であって、その人たちにかけがえのないことなら、同じく殺して食べている者たちにとやかく言う資格はないんじゃないか?
自分たちが犬を殺して食べないということで満足すべきじゃないか?

それよりもむしろ、まるでイタチがネズミ弄ぶように、食べる以上に殺して余ったものを平気で捨てているこの商業主義こそ憎むべきじゃないのかな。


オキナワスズメウリの芽。