facebookという場所は、自己承認欲求の培養瓶のようなものである。
見てほしい。ほめてほしい。すごいと言ってほしい。認めてほしい。私がここにいることをわかってほしい。
世間的にもう十分すぎる大人で、社会でも家庭の中でもそれなりに自己を確立している人ですら、時にはまるで駄々っ子のように自己承認を求めて叫んでいる。
ときどき、その毒気に当てられてfacebookをあけるのが嫌になる。
花のグループに写真を投稿しているのだが、最初に自分に課したことがある。
「いいね!」をもらえなくてもへこまないこと。
壁の中にいるばかりの自分に風穴をあけたくて入ったfacebookなのだから、もとより承認欲求を満たすのは無理であり、それより自分の好きな写真を、自分の好きな植物の話を自分が好きなように投稿しよう、と。
そうして、「友達」もでき、フォローもしてもらえ、投稿すれば「いいね!」も一定数もらえるようになった。
・・・つまらないのだ。「いいね!」を多くもらえる技術のようなものが見えてきてしまったから。
小さな画面で見る花の写真は、アーティスティックなものではなくわかりやすいものが好まれる、とか、コメントに返信するタイミングを分散させるとタイムラインの上位に上がりやすくなってよりたくさん「いいね!」がつくとか。
そういうことがわかると、あえて逆のことをするのが私だけれど、でもそれだって結局「いいね!」にとらわれているのに違いはない。結局巡り巡って私も自己承認欲求の餓鬼になっているのだ。
あさましい。なさけない。
このごろは花のグループに、素直に投稿できなくなってしまった。閉じ始めるとどんどん閉じてしまうようで、最近はいろんなところにいろんな花を見に行っているのになんでも自慢のようにとられると億劫でそういうものもほとんど投稿しない。
ああ、めんどくさい。
私はほんとうに、承認欲求から自由になりたいのに。