子どものころ、2学期のはじめに防災訓練があった。
ちょうど、「関東大震災は70年周期」などと話題になったり、小松左京の「日本沈没」が映画になったりテレビドラマになったりしていたころだったから、子どもらしくわいわいがやがやふざけながら、でもどこか厳粛な気持ちもあったと思う。
埋め立て地の、都営団地から通ってくる子どもたちのルーツはほとんどが地方出身者なのだった。夏休みに帰る田舎がない私みたいのは他に知らない。
父方の祖母は12歳で関東大震災に遭遇した、はず。今日twitterで、震災後に上野駅でひしめき合っていた避難民の色付き写真を投稿されていた方がいたが、あの中にもしかしたら祖母がいたかもしれない。祖母の家は上野寄りの浅草だったから。
祖母から、空襲の話は聞いても、震災の話は聞いたことがない。聞いておけばよかったものを。
祖母も見たのだろうか。根も葉もない流言で気違いのようになった民衆に殺される朝鮮の人たちを。
14歳の時、のちに入院することになった同愛記念病院に行くのに、都バスの業平橋駅行きに乗って石原何丁目だったかそんなバス停で下りて歩くのだけれど、蔵前橋通りに折れるとそこに公園があって、東京都の慰霊堂があった。
私はそこが東京大空襲の慰霊堂だと思っていたのだが、それも間違いじゃないのだが、もともとは関東大震災の慰霊堂であった。すぐに入院になってしまって、退院したら慰霊堂に行ってみたいと思っていたのだけれど、結局行く機会のないまま東京を離れてしまった。
今日はその公園内で、「朝鮮人の虐殺はなかった」とする歴史捏造主義者の者たちが集会を行ったそうだ。
あることをないといい、ないことをあるといい、「そんな当たり前のことを」と良識ある人たちが笑って相手にしていないうちに、時が進み、体験者が少なくなり、捏造者たちの声があまりに大きいので、知らない人たちは信じ込み、知ってるはずの人たちも上書き更新してしまって、南京虐殺も従軍慰安婦も「なかった」と思っている人の方がもう多いのじゃないか?
国が美しくあるということは、何一つ間違いを犯していない、ということじゃなく、犯した間違いからしっかり学びよりよい進み方を必死に選び努力する姿勢だ。
この国は何も学んでいない。何一つ、国として成熟しようとする意欲もない。