昨日の夫の休みはいろいろと雑用を済ませた。
ホントに雑用が多くて、今日またTODOリストの貼り紙を書き換えたのだが7項目もある。
私の私物置き場になっているハイボードの上が散らかって大変なことになっていたので今日は朝から片づけた。様々な封書など保存するものシュレッダかけるもの雑紙リサイクルにまわすものなど仕分けした。100均グッズで作った収納が見苦しいので昨日卓上引き出しを注文した。あらかた片付けておいたので明日着いたら収納して少しさっぱりするだろう。
明日は廃品回収なので出すものをまとめておいた。実家の押し入れを整理して出てきた大量の古びたシーツ類(スーパーの袋に3つ分)も一緒に出す。夏に取りかえたアンテナの入っていた段ボールが2階に放置しっぱなしだったのでそれも出す。たいした大荷物だ。
いろいろ片づけをしているときは楽しい。特に収納を考えるのはパズルみたいで。
保険証がなかなか来ないので不安。私の肩はどうも鎖骨の肩側のところが脱臼しているみたいで、痛いだけで生活に支障はないのだけれど、この頃はそれに増して首がかなり痛むようになってきたので整形外科に行きたいと思っていたところでこの有様なので。
このところ考えていること。
私は、自分という人間の周りに世の中があるんじゃなくて、世の中が川の流れの様にあってそのほとりにいて交わることもできずに流れを見ているもの、というように自分というものを規定しているみたいだ。
テレビの中から貞子が出てきたら恐怖にとらわれてしまうのは、通常テレビから何者かが出てくることはないからで、私が人とかかわるのを恐れてしまうのは、人が私を関わりたがるものではないと認識しているからなのだろう。だって、私は流れを見ているだけなのだから。
私なんて居ても居なくても誰も困らない。だって流れの中の人にはほとりの人は関係ない。私に影響を受ける人なんてこの世にいない。そんな風に思っていたのだけれど、私がおっかなびっくりかかわりを持った人の中に、何か心の片隅のほんのちょっと、私のことを思い出してくれる人がいたりするのかもしれないな、とこの頃思ったりする。
私の言ったことで考えを変えたり、私に慰められたりする人もいるんだろうか。
そんなことがあったとしたら、すごいな。ほんとうは、私にももっとできることがあったのかもしれないな、などと思ったりする。
ああ、これ、妄想かな。
あちこち出かけたところもあるのだけれど、横着で書けないのだが。