望み、というのを持ったことがないなぁ。
自分に夢も希望もないことを知ったのはごく最近のことだ。
忌野清志郎は「夢を大切に!」とよく言ったり書いたりして、歌にも歌っていたけれども、私はそこのところになると何故だかピンとこないのだった。それでよく考えてみると、別に、こうなりたいとか、これを実現したいとか、そういうものが私には皆無だと思い知った。
今日、図書館で借りてきた「本当の貧困の話をしよう」という本の出だしだけざっと読んだのだが、貧困から生まれる自己否定感を「心のガン」と表現してあって、「そう!これこれ!」と首肯していた。
貧しさは人の夢想や向上心を奪うので、思春期の私には、自分がいつか何者かになれるなどということはちっとも実感ができなかった。
そんなままでもう人生の下り坂ですよ。あーあ。
雨が降り続いて、すごく蒸すし、体がすごく弱っているので止み間に買い物に行ったりしても湿気と熱気で貧血起こしそうになったりして、なんとか帰宅していろいろしなければいけないことがあってもまるでやる気が起きない。
お昼を食べて、グダグダと「オンライン上海(私がドウツの時はたいていこれをやってる)」をしたりしてて、いや、これではアカン、と、今年発芽したクリスマスローズの苗をポット上げすることにした。
雨は降ったりやんだりで、暑いし、蒸すし、やっぱりしんどいのだけれど、やり始めたら思いがけず集中できて、苗たちの行く末も思い描いたりして、私はとことん植物が好きなんだな、と思った。
そうじゃん、これじゃん。
別に誰の役にも立たないし、まだまだ下手くそだけれど、毎年同じことを繰り返していくうち、上達することもあるし、咲かなかった花が咲くこともあるし、そんなことが私はものすごく好きじゃん。
今は、去年からずっとできなかった世話が庭に山積してうんざりするほどだけれど、私は根気はあるし、ちょっとずつでもこれは片づけられるし。
まだもう少し命があるなら、今まで挑戦していない栽培にも手を付けられるかもしれない。
夢、あるじゃん。
もう、大峰に行ったりはできなくなるのだろうけれど、バイクで行ける近所の山なら一人でも行けるし、いろんな植物にも会える。
夫が少し良くなればまた二人で公園に鳥も見に行ける。
夢、なんて構えなくても、好きなこと、楽しいことを毎日見つけるのは私得意だったんだ。