大阪の堺に「世界パン」という名前のパン屋さんがあって、最近のオサレパン屋さんというのではないのだけれど何となく懐かしくてほのぼのとしたお味で、でもなかなかこだわりもあって土台のしっかりしたパンを作っていて、あちら方面に行くときには必ず立ち寄るのだけれど、どうしてだか、一昨年?去年?2回あちら方面に行ったときは休業で、悲しい思いをしたのだった。
コロナ以降、県をまたぐ移動は一切していない(どころか、県内での移動も近隣と実家以外はない)我が家であるので、堺自体に今度いつ行けるのか、アフターコロナという時代に生きていることができたらまた機会があるのか、という話なのだけれど、諸事情(笑)があってもうあのパン屋さんには行けないなと思うとやはり悲しい。
何もない平時でも、人のいのちというのはいつはかなくなってもおかしくないのだけれど、母が死に、夫が癌になり、こうして新感染症に世の中が呑み込まれ、死がとても身近になった。死なないで済む努力はできる限りするけれど、死ぬときのための覚悟を持つべきだとも日々思う。
会いたかった人に会うとか、伝えたい言葉を伝えるとか。
まあ、思っているだけで、多分何もしないのだろうけれど。
それもそれでよいのだろうけれど。
スイセン「オータム・ジュエル」。
3球から始まって、今は10球以上に増えた。鉢植えでこんなに維持できるなんて思ってなかった。