秋にイカリソウの大植え替え祭をして、ずいぶん根が傷んでいるものもあったので、この春の芽出しが遅いような、出ているものでも貧弱なような気がして、ドキドキしている。
うまく回復してくれればいいなぁ。
呪いの話。
私は勉強をしない子だった。
それでも小学校の時はテストで90点以下はほとんど取ったことがないし、中学では特に勉強をしなくても、定期考査の平均点が85点以上は取れていた。
私は家事をいろいろ分担していた。身内が私が小学校の1年の時から中学2年の時まで次々がんになり、母はその看病に忙しかったのと、父が給料袋から勝手に金を使ってしまうので内職や深夜のバス清掃の仕事などもしていたからだ。
母にとっての「イイ子」は、母がそうだったように家のことをしっかりできる子だったから、私は毎日お米も研いだし風呂も洗ったし、弟を保育園に迎えに行ったし子守もしたし、かんたんな夕飯を作って弟に食べさせたし、弟を寝かしつけた。
私は母に愛されるイイ子でいたかった。
通信簿通信欄にはいつも、勉強をしない、書かれていた。
家で予習や復習をしていたらちゃんと取れるような点を取りこぼすから、見かけいい点でもこの子は勉強をしない子だとわかるのだ。
それを見て父母は「勉強をしなさい」というのだけど、私には本当のところ全然勉強をする気はなかった。
最近、なぜ私は勉強をしなかったのだろうと考える。
そして気付いた。それは、母が、私が勉強をしないことを自慢に思っていたからだ。
私は家事をする。高校に入ってから、さすがにちゃんと勉強をしないと点を取れない数学や英語の点はどんどん降下した。でも、それまで通り学校で授業中に聞いたことを覚えておけば点が取れる社会や理科や国語の教科の点は相変わらずよかったので、平均点でいえばやっぱり優等生なのだった。
「つぶらちゃんは勉強ができる」とどこからかご近所で評判になったりしても私が家で夕飯の支度をしているから、ご近所の人が「受験やろ、勉強させへんでええん?」と母に聞いた時に「全然勉強しないのよ~」と歌うように言っていたのはあれは、母の自慢だった。
母は、「勉強をしないのに学校でいい点を取ってくる、家事をちゃんとできる女の子らしい」私が自慢だったのだ。
私はそれを頭でちゃんとわかっていなかったけど、もっと小さい時から母の期待の真の部分を感じ取っていて、だから勉強をしなかったのだ。勉強をしたら、母に愛される子どもになれないとわかっていたのだ。
私はなまくらで努力ができない人間だとずっと思っていたけれど、自分で家庭を持って母のいないところでの生活を送るうちに、私はかなり努力が上手だ、むしろ世間的には努力家の内に入るのだとわかってきた。
それでも、勉強をしないことが、母からの強い支配によるものだとは本当に50歳になるまで気がつかなかった。
さすがに今頃わかっても手遅れだろうな。