昨日、なんとなく9時ごろのテレビをつけたら、世界の怖い女の人の話の番組があって、韓国のデパートの崩壊のときに17日間生き埋めになって助かった人の話をやっていた。
その女の人も負傷していたしパニックになったりもしたのだけど、あるところから傾眠状態になってそのときに見た夢でまだ事故があって5日目だと信じ込んでいたので状況を軽く考えることができ、ショックによる疾患を招かずにいられたことが生存につながったというように精神科医の名越センセイが説明していた。
物事をマイナスに考え、極限下で恐れや不安を増強してしまうことは、体のあちこちにアンバランスを生じさせて傷つけることになるのだと。
私はそれを見ていて、あかんわ、私だったら3日と持たんわ、などと夫に話していた。
中3のとき、入院していて、見舞いから帰ったばかりの母に翌日に持ってきてもらうものを伝えるのを忘れて戻る頃を見越して家に電話をしたけれど出ず、少したってからまたロビーに出てきては電話をかけまだ出ず、それからは、「帰り道で事故にあったのじゃないか?」「家が火事にでもなったのじゃないか」と気が気でなく、赤電話に張り付いて偏執狂のように電話を掛け続けた。
留守番電話もなく、もちろん携帯もない時代の笑い話で、結局母は弟と母の実家に行っていて晩御飯を食べていたというだけのことだったのだが。
私にはどうしても、一番恐ろしいことがおこるに違いない、と独り決めしてしまう悪い癖があって、答えが出るまで何もできないことでも悪い可能性ばかり何度も何度も反芻せずにおれない。
以前は夫の帰宅が少し遅くなっただけでも事故で死んでしまったんじゃないだろうかと狼狽したり、救急車に行き会っただけでも実家の母が発作を起こして運ばれたのじゃないかと思ったり、おそらく普通の人なら大笑いしそうなことを大真面目で心配していた。今は少しはマシになったのだが(それには留守番電話や携帯の存在が大きいと思う)、それでも、一日家を留守にすると、帰宅したら家に泥棒が入り犬が叩き殺されているんじゃないかなどとしばしば思う。
こういう私だから、ビル崩壊生き埋めなんて極限状況に置かれたら自分自身が脳にダメージを与えてきっとすぐ死んでしまうだろう。
ホントなさけない。なんて弱虫なんだ。
「鈍感力」とかいう本を書いた人を私は好かんが、自分を生かすいいイメージを結べる人、それが無理ならその場から自分の脳を退避させられる人というのは本当にあこがれる。
私にその強さの1/10でもあればいいのに。
せめて1の不安を1のまま感じられるのならいいのに。
で、昨夜。
犬が午後に血便してそれが初めてだったので、医者の夜の診療が始まったら即連れて行き、その前に犬の血便についての知識を調べるだけ調べ、犬の状態について医者にきちんと話ができるように頭のなかで組み立てをし、時間が来たので犬を連れて行って思ったとおりに感染もなく虫もいずストレス性の大腸炎だとわかって帰宅して夫に連絡してご飯の支度を始めて夫が帰宅し…
と、すべきことがある間は機械的にそれをこなしていたのだけれど、さて就寝していったん眠りについたものの2時ごろ目覚めたら今度は眠れない。
大腸炎がストレスなら21日の手術とその後の眼の状態が固定するまでの2週間~4週間にわたる間、この子はどうなってしまうのだろうか。たった2日(実際には3日になったが)医者通いをしただけで尻から血をたらすほどのストレスになるなら、大手術ではないにしろ体の5箇所を同時に施術されその後も眼の痛みや不快感が何日も続くことにこの子は耐えられるのか。
そんなことを考えると心配事がどんどん沸いてきてさぁ眠れなくなってしまった。
眼を瞑ると、術後の悪経過で眼が血みどろになった犬がイメージされたりして、起き上がって足元で寝ている犬が落ち着いて寝息を立てているのに少しホッとしたり。
あかん!これだからあかんねん!
いいイメージを引っ張ってこないと。それがダメなら寝逃げるべし。
そう思ったら、しばらくはやはり眠れなかったけど、そのうち脈絡のないイメージが沸いてきて眠った。
(しかし、4時過ぎになぜか犬が急に吠え出して結局あんまり寝ていないのですが。)
心弱いものにもこの世に居場所はある(と思いたい)し、心弱いものにしかできない役割もある(と信じたい)けれど、しかし、私は3月11日以降のこの荒れ狂う世を生きていける強さがもう少し欲しいよ。