やっと恵みの雨

投稿者: | 2013年8月24日

昨夜はドッと雨が降った。今日・明日もボチボチ降りそうだ。
犬の散歩は大変だけどアスファルトや家の屋根や壁の熱がこれで少しは冷めるんじゃないかな。

今日は公園の草むしりの日なんだけど、今私は、人と一定時間一緒にいるのがつらいので、自分の家に面している部分だけ昨日の朝草むしりしておいた。全員出席義務があるわけじゃないのでこれで勘弁してもらおう。

東野圭吾の「禁断の魔術師」の予約順番が回ってきたので「ソロモンの偽証第2部」を返却がてら借りてきて読み始めたんだけど、なんとなく読み進めない。ドラマで見てしまったのもあるし(ドラマの吉高由里子がうざかったので真剣に見ていない)、なんかガリレオシリーズ自体鼻についてきてしまったのもある。私がいい加減に読んでるのかもしれないけれど、このごろ東野圭吾の本を読んでもなんかただソツがないというくらいにしか感じられない。作品の根底に流れる作者の人間へのやさしいまなざしには共感するんだけどね。

しかし、まだ待機者が山ほどいらっしゃるので早く読まないと。

ナツばっぱに「来年はもぐれるよ」と娘の春子は言うけど、来年はもぐれない。
映画化もされ、ドラマにもなった、井上光晴の「明日 一九四五年八月八日・長崎」という本があるけど、それぞれが喜怒哀楽を持ちながら戦時下の平常の生活を送りごく普通に明日の予定をたて、読む(あるいは観る)側はその明日はこの世の地獄となるのだと知っているということがたまらなかった。
「あまちゃん」は震災を描くドラマではないと脚本家は言っているから、これからドラマがどんな風に「その時」に至るのかそれはそれで観るべきものであると思うのだけれど、こうして天野家にとって喜ばしい2010年の夏の描写に「来年」という影をさしてくる上手さに唸ると同時にこれもまたたまらなくなる。
ドラマや小説では受け取る側は「時間の傍観者」になれる。
でも現実はみな1分1秒取り返しのつかない時間の上を生きている。
あの時、ガソリンの携行缶を日陰の涼しいところに置いていたら、とか、あの議員に津波の危険性を指摘されていた時に原発の津波対策をしていたら、とか、そういうことは、たくさんの人が亡くなったり苦しんだりした今にどうこうしても決して間に合わない。人生は1分1秒取り返しがつかない。私たちは時間の傍観者にはなれない。


もうイカリソウはみな暑さ負け。枯れちゃう株もあるだろう。涙。