ぐるぐる

投稿者: | 2014年5月19日

なんか一定周期でおんなじ悩みで悩んでる。
ということは進歩ないっちゅーことだな。

それもそうだな。進歩はないのだろうな、と思う。

子ども時代と青年期と、自分がいかに、ヨソのフツーのおうちと違った環境で育ってきて、それが自分をどんな風にできそこないに作ってしまったのか、よく考えて、どうにか、自分をちゃんとした、人ときちんと関係の作れる人間に育てなおすことができないだろうかと試行錯誤してきた。
でも、それは多分ムリなのじゃないかとこの1年くらいは思ってる。
ちょっと前に読んだ「その後の不自由―『嵐』のあとを生きる人たち」でも、人との距離感がつかめない私たちのような人間はフツーの人たちのようになろうと無理してあがくことがさらに自分を追い詰めるのだと書いてあった。
先日読んだ吾妻ひでおの「アル中病棟」でも、子ども時代の傷がすでに60歳を超えている作者を、彼が意識するしないに関わらずまだ苦しめ続けていることが見てとれる。

自分で自分に「ヨシ」と言ってやれるチカラは、きっと生まれ直さないと受け取ることができないのだろう。

考え続ける粘着性こそが自分の取り柄だと思ってきたけど、ぐるぐる廻りで出口のない思考が自分を傷つけるだけなら、その取り柄も返上して、考えるのをやめるべきかも知れないな。

それでも、この値打ちのない人生を生きるしかないもんな。