責めないで

投稿者: | 2024年4月17日

夜中はすごい雨と雷だった。
咳が出るので起きてしまった。

去年から近所にいるイソヒヨドリが春になったら毎朝めちゃめちゃ歌う。
まだいろんな声が出せないらしくて、結構一本調子。でも声は大きい。
夜明けが早くなってきたからか、5時前から歌ってる。ご近所の人はうるさく思っているだろうか。私は鳥の声がするのは好きだ。でももうちょっと技巧も身につけて欲しいとは思うのだ。

今日は庭でカナヘビを見た。ヤモリはまだ出てきていないみたい。
ヘビに食べられないようにね。

不在中に飼い猫を喪ってしまった人が嘆いて自分を責めている。あ、見も知らぬ人だ。ブログを拝見している。
他人のことなら「そんなことはない」と言えるけれど、どんなに言ったって自責の念を取り払うことはできないことも私は知ってる。
この頃はこう考える。
それが自分の不始末の末に起こった不幸でも、何にもない人生に、不幸と思えるくらい縁のあった対象があって、その不始末を負債のように思えるのであれば、それはそれで何にもない人生のうちの宝だと言えるのじゃないか、と。
実際のところ、(殺したのでなければ)生き死にの全責任を一人の人間の気ままにできるものじゃなし、死にはいくつもの要因があるわけで、飼い猫の死が飼い主一人の過失によるものでは決してないのだ。
責めなくていいのに。悲しみは悲しみとして、喪って悲しみがあることそのものが宝なのだと、その人に言ってあげたいけれど、例によって私は河の流れを傍で見ているだけの人間なので、ここでこうして書くだけなのだ。


洞川の、ミヤマキケマン(?)。