ぼくはなきみそ

投稿者: | 2022年11月23日

犬がいたらいいなと思う。
ヒマになると、ついベソベソ泣いてしまうから、モフモフのかわいいヤツが身近にいたらそりゃ慰みになる。

下世話な話になるけれど、也々の医療費はぶっちゃけものすごくかかった。安い新車が買えるくらいはかかった。
貧民育ちな私は、犬を飼うことにそんなにお金が要るなんて観念が全くなく也々を飼ってしまったので、しかし、也々が白内障になり、ストルバイト尿症になり、緑内障になり、門脈シャントが疑われ、謎の鼻骨融解が起こり、挙句炎症性腸疾患になり、と、医療費はどんどんどんどん膨れ上がり、それでも何もかも切り詰めてやりくりしてなんとか必要な医療を受けさせる努力をしてきた。貧民にふさわしい犬の飼い方(つまり病気を見て見ぬふり)をするには、私は也々を愛しすぎていた。
私には十分わかった。生き物を飼うには、相応の出費をする覚悟がどうしても必要である。
かわいいから、いやされるから、などという理由だけで、何の覚悟もせずに生き物を飼ってはならない。

そういう心情を知ってか知らずか、この頃、PCでいろんなところを見ていると、ワンコやニャンコの痛々しそうな写真とともに「〇〇ちゃんの命を助けてください」みたいな広告が出るようになったのである。
なんだ、なんなんだ、と思ってクリックしてみたら、クラウドファンディングサイトというものらしきページで、ワンコやニャンコの治療費や手術費への募金を集めているのだった。
初めは、捨て犬や捨て猫の里親施設が協力を求めているのかと思ったのだが、よくよく見ると個人らしい。
病気も、白内障からの緑内障の子、門脈シャントで手術予定の子、腎臓障害の子などなど、也々と同じ病気の子もいる(也々はひとりでそれ全部以上だけどね)。

えーーー?こんなのアリなのーーー?とちょっとイラっとした。
そりゃ、あんまりナメてない?甘えてんじゃない?
ペットは、自分の楽しみのために飼うもので恩恵を社会に還元できるものじゃないから、飼う責任は自分だけで負うべきじゃないの?自分の身の丈の内で何とかするべきで、医療費を存分にかけたいなら自分にかかる費用を精一杯切り詰めたらよいし、それができないなら命を諦めるしかないんじゃないの?

・・・なんて思ったのだけれど、でも。

私が也々の医療費に汲々としていた時にこういうシステムを知っていたとしても絶対にやってみようとは思わないだろうけれど、それでも、どうしてもどうしてもどうしてもペット(という呼び名がふさわしくはないのかもしれないけれど)の健康を取り戻したいという強い気持ちがある人たちがこのシステムを利用しているのかもしれない。
見ず知らずのどこかのワンコやニャンコに元気になってもらいたいと募金をしている人もたくさんいて、そんな人たちの博愛にはなおさら、何のケチも付ける気はない。

まして、どこかのワンコやニャンコ、できることならみんな元気であってほしい。

まあ、世の中いろんな人がいるものだ、という、困った時の最終結論がここにも出てくるのであった。
 
 
 
いずれにしても、夫婦お互いアラカンでしかも夫は癌をやってまだ3年足らず、私も体がガタガタで、年齢的健康的にも犬を飼う責任が果たせるか疑問であるし、それより何より、也々は大変なヤキモチ焼きであるので、犬など飼ったらきっと化けて出てくるであろう。だから犬は飼わない。
・・・いや、化けて出てきてくれるのあれば、飼った方がいいのか?
なんてね。
  
  
 
この頃、居間でよく見かける、アダンソンハエトリがある。
とても人懐こい。私がこたつで座っていると天板のすぐ下を横に這っていたり、PC机の上に乗ってきたりする。
一昨日は私の頭の上に乗っているのを夫が見つけた。
也々かな?
とりあえず也々と呼んでいるけれど、昨日から見てない。あんまり人懐こいから踏んでしまったりしないか心配なのだ(粗忽なので)。

あんまりベソベソ泣いているから、心配して来てくれたのかな。
 
 
 
先週は、月曜と火曜はラティスを塗装して、水曜日は実家に行ってまたカラーボックスの解体をしたりして、木曜に夫が4回目ワクチンを打ったので私は庭でラティスを立てて、金曜日もその続きをして、土曜日は買い物たくさん、日曜日は喪中はがきの印刷、なんて風に過ごしていた。
今日は実家に行きたかったけど、朝から雨だったので断念。来週からは寒くなりそうだから実家に行きにくくなるな。
雪虫が飛び始めた。さっき雨が止んだので外に出て見たらたくさん飛んでた。冬がくるね。

実生のネリネが初めて咲いた。
もとからあった株3つはイッコも咲かない・・・(泣)世話してないから仕方ない。