Carpe diem

投稿者: | 2023年9月17日

昨日の続き。

ふとつけたテレビの番組で、ローマのオラッツィオ(「ホラティウス」と日本では呼ばれているらしい)の名言である「Carpe diem(カルペ ディエム)」という言葉を知ったのである。
日本語では「その日を摘め」と訳すことが多いらしい。

視聴をうっちゃってすぐさまググった。いろいろわかった。
carpeというのは「摘む」という動詞の命令形で目的語は花の類になるのが当たり前のところ、「日」となっているのだそうだ。
意味をふくらませて訳せば「たった一つの花を見出して摘むがごとく、今日という日を生きなさい」というような。
この名言の後ろには「明日があるとは限らないのだから」と続くようだ。

また、この「Carpe diem」とよく対比されるのが「Memento mori」なのだそうだ。それはそうだろう。

うつ病で病院通いのころ、このメメントモリという言葉が私には非常に魅惑的だった。
自分の生命に呪いしかなかったなぁ。

也々に助けてもらって(もちろん人間にも助けてもらったのだけれど)なんとか毎日生きた。

私はメメントモリという言葉を手前勝手に消費していただけだった。それが今はわかる。
也々が難病になり1年強の闘病を経て死んだ。その涙がやっと乾いたころ母ががんになり死に、父の老いを引き受け、死も見送った。私はもう7年近く死と並走しているのだ。私はずっと死を思ってる。このコロナ禍で(コロナは決して明けてはいないです!)自分の番がいつ来てもおかしくないと考えている。

明日あるかないかはわからないけれど、今日を面白く生きたいと願う気持ちは最近とても強い。幸いなことに自分の時間を自分で使えるのだもの。花を摘むように楽しんで今日を生きる。

あ、これはあれだ。

いつか終わるから 踊る いま

だ。
ありがとう、星野源。
 
 

むろいけの森のサクラタデ。

今日は朝歩いたんだけど、昨日の草引きのタタリで筋肉痛で、中抜けしてきた夫にあんかけ焼きそばを食べさせて送り出してからはダラダラ過ごした。
え?全然その日を摘めてないって?