カーネーションもとうとう大詰め。
毎日のように「孤立死」のニュースがテレビで報道されている御時世で、90歳を超えたひとり暮らしの老人なのに、倒れてもすぐに救急車を呼んでくれ家族に連絡を取ってくれる人がいるというのはずいぶん幸せなことなのだと思う。
とどまろうとはしないで成長し続けようとしたこと、小さく籠もろうとはせずに外に出て人とつながろうとし続けたこと、それが彼女が愛される理由なのだとしたら、ただただ幸せな「果報者」なのではなく、幸せを受け取る権利を勝ち得たものなのかもしれない。
いつかひとりで私が死んだ時、夏だったら申し訳がないよなぁなどといつも思っているけど、これからの生き方でそういう「応報」的な死に方が変わるかしらん?
犬の散歩に行くとあちこちジンチョウゲが香ってる。こんな春でもやっぱり春はいい。