忌野清志郎は「夢を大切に!」とよく書いていた。
夢に関する歌も、いくつも作って歌っている。
その歌を聴く時、いい歌だと思う反面、なんとなく私にはピンとこないところがあった。なんか肌にしっくりこないというか。
でも、そういう自分の気持ちはとりあえず無視して、その歌が心底気に入っていると思い込もうとしていた。
私の嫌いな大学時代の知人は、畑違いの専攻だったのに、今は英語の原書をすらすらと読み、子どもさんにただ本の読み聞かせを習慣づけたというだけで帰国子女さながらの英語力を養わせ、各地でセミナーを開くまでになっている。
私が最近まで親友だと思っていた人は、教師の仕事をこの春やめて、子どものころから打ち込んできたある伝統和楽器演奏のプロになった。
高校時代の友達は地元の合唱団に入り毎年第九を歌っているそうだ。お祖母さんが近年100歳で亡くなったので、自分が本当にやりたいことをやっていくのに、まだ半分時間が残されていると手紙に書いていた。
それで、私は気がついた。
私には今まで、やりたいことなど特になかったし、今現在も何もない。
高校生くらいの時に、将来の希望として、教師になりたいということを漠然と思っていたのだけれど、でもそれは、中学生くらいに母親に刷り込まれた母自身の希望だった。教師になれば公務員だから生活が安定する。奨学金も返さなくていい(当時)。
生活保護を受けて暮らしている母子家庭の境遇で、それが自分の夢だと錯覚するのは本当に自然だった。錯覚とすら、つい最近まで自覚できないくらい自然な。
私には自己肯定感が皆無で、自己愛も薄い。自分が本当にしたいことややりたいことを考えたり思ったりするのが後ろめたかったのだろうと思う。親の役にたつことしか自分の存在価値がないと、無意識下に思っていた。
教育系大学に入ったけれど、本当にやりたいことではないのに続けられるわけがない。自己存在のありとあらゆる矛盾が噴出した。
教師にはならなかった。
若い私が一番ほしかったものは、自分の居場所だったのだな、と最近わかった。
私は家にも居場所がなかったし、大学にも自分をわかってくれる人はいなかった。
人が軽い気持ちで発したささいな批判に、その都度打ちのめされたようになる(それは「自分はこれでいい」と信じる力がないからだけど)私に「○○ちゃんは悪ぅない」と言ってくれた夫の肯定の言葉が私にはよりどころとなった。
そして結婚して、私には居場所ができた。
この巣の中でなら、私は自分を損ねないで済む。
ときどきチラッと外に出て、痛い目にあっても、この巣に隠れていれば傷の痛みをこらえることができる。
私のほしいのは、みんなが子どもの時から簡単に手にしているそんな巣だったので、それを大人になってやっと手に入れられたので、「つまらない私のような価値のない人間」にはそれ以上の夢なんて望むべくもなかったのだ。
・・・ということに、ホント、この3月ごろ気がついた私は、50歳にしてまだ小学生並みなのだな。
高校時代の友達の言を借りれば、まだ半分猶予があるそうなので、私はこれから夢を持つことができるかな?
その前に「夢を持っていいんだ。お前は夢を持つに足る人間なんだ」と自分に言い聞かせることから始めないといけないのだが。そしてそれもすごく難しいことだけど。
でも、「夢を大切に!」と言っていた人に恥ずかしい生き方はしたらアカンよな。