十二月八日

投稿者: | 2013年12月8日

72年前の今日にとんでもなく愚かな戦争を日本は始めたのだったけれど、2013年の今日は「戦前」になって3日目ですね♪

想像してごらん。
この頭の上(その頭の上にも)に核爆弾が落ちてくるのかもしれないんだぜ?
物心ついてから、戦争にずっとずっとずっと反対してきたのに、私は戦争で死ぬかもしれないのか?
そんな馬鹿な。

太宰治に「十二月八日」という短編がある。
1941年の12月8日の朝の、妻美智子の心持のようにつづられた文章だけど、戦争を肯定的にとらえているような字面の合間合間に諧謔を混ぜ込んでいて、作家が良心と統制の狭間でどう腐心して文章を書いたものだったのかとあれこれ想像をかきたてられる。

その一部分。

 銭湯へ行く時には、道も明るかったのに、帰る時には、もう真っ暗だった。燈火管制なのだ。もうこれは、演習でないのだ。心の異様に引きしまるのを覚える。でも、これは少し暗すぎるのではあるまいか。こんな暗い道、今まで歩いた事がない。一歩一歩、さぐるようにして進んだけれど、道は遠いのだし、途方に暮れた。

私が生まれた年は東京オリンピックの年で、まだみんながとことん戦争に懲りていた頃だった。まだちょっと日本は貧しかったけど私が育っていくうちにどんどん街はきらびやかになって人々も着飾り家にはいろんな物があふれ返るようになった。
そして中年になるころには戦争に懲りた記憶がもうほとんどなくなってしまった。
サッカーを応援したり野球を応援したりするように、戦争が始まればみんな日本を応援するんだろう。自分の上に核兵器が飛んでくるのをウキウキして待つんだろう。
これから老いるばっかりの私はこの道の暗さが怖くて仕方がない。本当に途方に暮れている。

「園子が難儀していますよ。」
 と私が言ったら、
「なあんだ。」と大きな声で言って、「お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ。僕には、信仰があるから、夜道もなお白昼の如しだね。ついて来い。」

うん、でも信仰じゃないけど、私にはまだ、歴史は進むという信念はあるよね。
暗くても諦めちゃいけない。
とりあえず、12月6日に参議院で与党がしたことを忘れないで次の選挙に生かすべきだって言い続けることはできるから。

国会前で、日本各地で6日夜に燃やした熱い熱いはあと。