壊して組み立て

投稿者: | 2024年4月22日

今朝は予想に反して雲の切れ間に青い空なども見えたりしていたんだけれど、夫は鳥活には行かなくて、買い物に連れて行ってくれた。

先日、家の裏に置いてあるプラスチック製の物置のシャッターがバラバラになって開けられなくなってしまったので、同じ会社の同じサイズのものを注文した。
20年くらい使ったのだろうか。
土曜日の朝に夫が鳥活に行っている間に壊れた物置をとりあえず分解した。シャッター以外はどこも壊れていないのにもったいない。それでも扉のないままで使うこともできない。
バラした部品をとりあえず重ねておいて、これをゴミ袋に入るように切らなければならない。これは難業。
それでもノコギリでギコギコ切って、ある程度切れ目が入ったら折り曲げてバキっと割って、なんていうのを休み休み繰り返し、夕方までにどうにか始末した。
土曜日の夕方に新しい物置が届き、和室に放り込んでおいたのを、今日買い物から帰ってきてから組み立てた。バラしたばっかりなので組み方はすぐわかったが、ネジ穴がうまく合っていないところがあって難儀した。
これを物置の場所まで運ぶのはひとりではできないので、夫に手伝ってもらわなきゃ。でも、あるはずの休みがつぶれてしまったのでいつになるやら。

新聞で書評を見た本を図書館で借りてきて読んだ。
「冬に子供が生まれる」という本。
集団で共有される記憶のあやふやさ。無責任さ。個の記憶がバイアスでゆがめられたりすること。
記憶をよりどころに生きている私が、このごろ、老いのせいだと思うけれども、非常にしばしば記憶が溶けてなくなるような思いをすることがあって、その自分の内面の心象と、この物語のマルユウとマルセイの記憶の境がにじんで同一化していくようなイメージに、似通った色合いを感じた。
おもしろかった。



もう咲き終わっちゃったけど、庭のペチコート水仙。一昨年掘り上げて半分ほどに減らしたのにもう鉢いっぱい。