今日はほぼ家から出ず。
朝だけ家の近所を歩きに行った。
体が不調子。お正月はやっぱり苦手だ。
お昼から、夫のリクエストで「大誘拐」を見た。
多分10回以上見てるけど、何度見ても楽しい。
俳優さんがほとんど亡くなってるのがさみしい。
夜はカレー。
お正月にカレーを食べたくなるのは「ククレカレーの呪い」なんだそうだ。
初詣に行った。
家を7時に出て大神大社に行ったんだけれど、さすがみーさん(巳)のかみさん、すでに駐車場がいっぱい。
お守りをいただいて、またぞろぞろと帰る。帰りは駐車場はほぼ満車。
まほろばキッチンが今日から初売りだったので野菜を買って、その後、葛城市の長尾神社に行く。
大神神社と続いて参ると御利益があるとのこと(夫調べ)。
駐車場に着くと弟からLINEで、東京の叔母(生前の母と喧嘩をしてそれから縁を絶っている)から留守電が入っていたとのことで、私のところにも連絡があるかも?と。
母が自分の死を叔母に告げるなと念押しして死んだから伝えていない。その後の父の死も勿論のこと、実家がもうないことも叔母は知らないまま。いろいろ説明したり面倒くさいなぁと思って気がもめるが、せっかく神社まで来たのだからお参りする。

狛犬?じゃないんだけれど、二対のなで蛙がある。
このかえるを撫でると御利益があったらしいのに、LINEにテンパってしまって撫でてこなかった・・・
帰宅してすぐに電話をあらためたけれど留守電入っていなかった。叔母は私には連絡しにくかったのかもしれない。
弟と相談して、再度連絡が来るまで放っておこう、ということになった。
そんなで、気疲れして帰ってきた初詣。
午後はまたこたつと親しんで、寝起きはまた具合が悪くて、何とか晩御飯を食べて、思い切って「スロウトレイン」を見た。
俳優Gはおいといて、みなとてもよく(ちょい役の俳優が豪華)よいドラマだった。
叔母のことも、ドラマにも言えることだけれど、人はあっけなく死んじゃうし、死んじゃえばもう取り返しがつかない。
そして私も、いつか降りる駅をめざして、次の駅はどこかしらと鈍行列車にのっていくのだ。今のところ同行者もいて、やがて一人で。
あけましておめでとうございます。
今年も過疎ブログをよろしくお願いいたします。
昨夜は、星野源を待って紅白を見ていた。
なんか高そうなセーター着て、ジャラジャラしたネックレスつけてこれ見よがしだなと思った。
ギターを弾きだすまでの「間」は、これは威嚇だな、と思った。
ギター一本で、たった一人で歌い出すクソ度胸。
そして、歌詞の変更。「私はにせもの」が「私もほんもの」に。
14年前の星野源は「にせもの」と歌うことで共感を得られた。聞く人の自己肯定感の低さを慰めたから。
今の星野源は「まんなかを行く(「夢の中へ」)」のだから、「にせもの」と歌っても誰の心にも響かない。
14年前のくぐもった声じゃなく、今の声で、「この高みを見よ」との体で歌い、最終部のスキャットのラララを止めて、まるで何か言いたげな、というか、忌野清志郎が生放送でやらかしたひそみに倣いとんでもないことを言うのじゃないかと一瞬思わせて「みなさん・・・・・・・よいお年を」と。
これは、歌手の仕事というより、俳優のそれ、だ。
そう、星野源は、世間一般に思われているよりもきっと、たぶん、ずっと、したたかであくどい。
「こんばんはー星野源でーす」とヘラヘラして出てくることだって可能だったはず。そういう演技はできたはず。
でもそうしなかった。不機嫌に怒っているみたいに、上手に演じた。
だから、ファンの方たちは、「正義を振りかざしたフェミニズムやキャンセルカルチャーへの怒りを込めて歌い切った。あっぱれ星野源」なんて大喜びしてる。
私は聞いていないけど、その後の生のANNで、リスナーからのメッセージに泣いたとか。
言及したわけではないにしろ、被害者をこれまた上手に演じたんじゃないか。だって役者だもの。
SNSでは、紅白出場者のファッションにすぐ言及できるほどの通がたくさんいらっしゃるようで、あのジャラジャラネックレスの素性を後から知った。ティファニーの1270マンエンのものなのだそうだ。
いや、無理だ。世界はひとつじゃないし、ばらばらで、重なりあったところにたったひとつのものがあるんだとあなたが歌っても、1270マンエンのネックレスをした人とではたったの0.001ミクロンも重なるところはないわ。
まあ、そんな感想。
星野源でげっそりしたけれど、その後はいっぱい楽しんだし、トラツバ&米津玄師は鳥肌レベルだったし、最後の矢野顕子の壮大な無駄遣いも堪能した。
沙莉ちゃんのトンチキな司会もよかった。
今年で年賀状をやめたけど、紅白ももうそろそろ潮時じゃないか、と思っていたが、案外まだやれるんじゃないの、とちょっと思える大晦日でした。