花ならつぼみ

投稿者: | 2026年6月14日

一昨日は、岩湧山という大阪の山に連れて行ってもらった。
イチヤクソウ、ウメガサソウ、フナバラソウ、スズサイコ、ヤマトキソウなど、私がまだ見たことがない植物がちょうど花時だとネットで見たので。
前日具合が悪かったので行けるところまで行ってダメなら引き返そう、と出かけたのだが、何とか山頂まで行ってこれた。
でも、帰り道はひどい片頭痛で口もきけなかった(帰宅してボルタレンですぐに落ち着いたのでよかった)。

登り道の途中で出会った高齢のご婦人の二人連れにイチヤクソウがきっかけで話を伺ったのだが、二人のお一方、ご年齢がなんと92歳でいらっしゃるとかで、ポールこそ使っておられたけれど私たちよりよほどしっかりした足取りでもう圧倒された。
自分の老いをジタバタせずに受け入れることがキレイに生きる道だと思ってきたけれど、できることを自分で制限してどんどん小っちゃくなっていくだけじゃダメなのかも、と目が開かれた思いがした。抗ってもいい。やれる限りのことをやってみるのもいいのかも。


で、そのイチヤクソウ。残念ながらまだつぼみでした。咲いてるとこが見たかった・・・

訃報の人

投稿者: | 2026年6月13日

毎日、新聞の訃報欄を見る。2年くらい前からそうしている。
ウチでとってる新聞は、著名人ではないひとの訃報が載る。
そこに私は、実父の訃報が載っていないか、毎日確認する。
もし実父が死んでも、今の配偶者のひとはそれを私や弟に連絡してこないだろう(私たちに相続が起こらないように財産の名義をみな配偶者のひとにしていると以前聞いたので、遺産分割協議なども発生しないだろう)と思われるからだ。
今は、地元の役所から直系尊属の戸籍を取り寄せられるらしいので、生死を知るのもそんなに大きなハードルでもないのだが、踏み出すのに躊躇があって。だからその代償に、毎日訃報欄を見る。

今のところまだ訃報を見ていない。必ずしも新聞に載るという保証はないから、確実なことではないけれど。

死んだからといって別に何もない。何か欲しいわけでもない。というより、死んで、配偶者のひとからも腹違いの妹たちからも何の連絡も無かったら、ああ、私(と弟)は本当に父親にとって要らない人間だったのだ、とちゃんと確認できる。それを待っているのだ、多分。仮にも親が死んだのに連絡もしてこない配偶者のひとを、ああやっぱり人でなしの泥棒だった、と蔑むこともできる。

昨日も夜に訃報欄を見ていて、父親でない別の人の訃報を知った。
ネットで知り合った方だけれど雪割草の大先輩で、同じこころざしを持った方であることはあとで知った。
時々新聞でも雪割草のことを書いた記事を拝見していた。
最近SNSでお見掛けしないと思っていた。ご病気されたと何かで見たような。
亡くなられたとは。

さよならだけが人生だ(お酒は飲まないけどww)。

昨日は中村玉緒も訃報があった。秀太郎はもうあっちでお絹さんのくるのを待ってたから、やっと親子で暮らせるね(あかんたれ)。

父親、今日で84になったのだけれど、まだ生きてるのかなぁ。

こともなし

投稿者: | 2026年6月11日

昨日書き忘れていた。
タブレットは充電してみたら支障なく使えている。多分、何か動画をアクティブにしたまま放置してしまったのだろう。
とりあえずよかった。

今日はお昼をテラス席のあるカフェに食べに行った。盛りがよすぎておなか一杯で、夜は質素に冷奴とトマトと春雨サラダだけ食べた。
そんな感じで家の中はこともなく。
いつまで、かな。

てっぺちょん

投稿者: | 2026年6月10日

歩きに出たら、ずっとホトトギスが鳴いている。
真上を飛んで行って、お寺の裏山の方のどこか梢に止まって、ずっとずっと鳴いていた。

奈良に来るまで、ホトトギスの声など聞いたことがなかった。
父はずっと五條の人だったからホトトギスの声は子どものころから聞きなれていた。
知識として、ホトトギスの声を「特許許可局」とか「テッペンカケタカ」などと聞きなすことは知っていたから、そんなようなことをホトトギスの話題の時に父に言ったら、こう言った。
「どこハゲとんど(ぞ)よ?『てっぺちょん、てっぺちょん』」て鳴いとんよ」

ホトトギスの声を聞くと、歌うように父が言う、この一節がよみがえる。

6月はいつも体調が悪いけど、ササユリも咲くし、ホトトギスの声も聞けるし、水の入った田んぼに映る空の雲のさまに毎年のことながら心打たれるし、6月は好き。
 
 
午後から2時間近く、「みどりのおばさん」をしたので今日はバテた。
夜は簡単に、低糖質お好み焼き。
これにて。