あけましておめでとうございます。
戦争と、非民主主義へ刻一刻と近づいている新しい年ではありますが、その成り行きを命をかけて見ていこうかと思います。
どうせまた同じことを繰り返すのでしょうが、そうでなければ万々歳という具合で。
ほそくながく
一年で一番気持ちの落ちるときに年賀状作りやら掃除やらおせちやらでてんてこまいで、これが父母の生前だと実家に持っていくものだとかお年玉とか父母の機嫌取りとか気疲れも甚だしく、だから必ず正月の後は絶不調で春になるまでなかなか元気になれなかった。
でも、もう実家のことは何も考えなくてよいし、年賀状はもう出さないし、料理も特に煮炊きしたのは黒豆とぜんまいの含め煮と雑煮2種だけで手抜きだし、掃除も冷蔵庫の入れ替えの時にほぼ終わっていたので簡単だったし、まぁ、それでも大みそかなのでそれなりに立ったり座ったり。
弟が餅を持ってきてくれてついでにいちごとか大トロとか和牛のロースとかも置いていった。ありがたい弟である。
鴨鍋をして、〆にお蕎麦を入れて年越し蕎麦がわり。私もちょろっとたぐりました。
来年も細く長く何とか生きていけますように。
よいお年をお迎えください。
こころぼそくて
昨日、海老名香葉子さんの訃報を知った。
深川と本所は目と鼻の先。祖父が逃げ惑った3月10日の夜に香葉子さんは家族のほとんどを亡くされて、それから生涯戦争のむごさを訴えてこられた。
戦後80年ともなると、こうして、生き残った人がどんどん亡くなっていく。それは仕方のないことだけれど、戦争をゆるふわにイメージしている人がどんどんどんどん増えていって、そんな世に老いていくことが心細くてならない。
今日もまた、訃報。
どんな国の人も、どんな仕事についている人も、女も、男も、健康・健常な人もそうでない人も、みな幸福に、生まれて生きて死んでいけることのために、このできそこないのつまらない人間でもできることをできるだけやって生きてきたんだけど、もう、本当に諦めてしまいたくなってきた。
それでも、死ぬまで生きるしかないし、生きている限りできることはやらなければならない。
今日は寝坊してしまった。早起きして洗車に行こうと思ってたのに。9時くらいに行ったら洗車機は鬼のように混んでいて回れ右退散。
午後からは古本を売りに行き、岩波文庫の「千字文」を買ってきた。
帰宅して、しめ飾りをつけたり鏡餅を仏壇に飾ったりした。
今年もあと一日か。
あじけない
昨日頑張ったから、夜中のうちから頭痛で、朝我慢しながら歩きに行ったけれどもどうにもダメで、またボルタレンのお世話になった。
どうしても買い物に行かなければならなかったから、夫に連れて行ってもらった。
どうにか頭痛が去った。いったん帰宅して買ったものの片づけ。
夫がくれた「無事カエル」には新しいバージョンがあるとのことで、ガチャガチャをしにちょっと遠くのスーパーに行ったのだけれど(前に夫がそこで見かけたらしい)、もう扱いが無くなっていた。人気らしいので売れちゃったのかな?
店内の100均に初めて行ったら、品ぞろえがよくて、なんだかいろいろ買ってしまった。
外の売店で仏さんの花も買った。
帰宅して、冷凍ご飯ともやし炒め(夫調理)とインスタント味噌汁で昼食。
夫は鳥活。私はいろいろ台所。
ぜんまいのナムルを作った(Thanks)。それと赤かぶの葉っぱを残しておいたものでじゃこと油揚げと炒めたの。冷凍庫にあった鴨のロースト。はたけしめじのおみおつけ。
写真が全然ないので、いつもに増して味気ないニッキ。
無事カエル
今日はすごく頑張った。
換気扇もガスレンジも掃除したし、灯油も買いに行ったし、午後からはチューリップを植えて、ホトトギスとボタンヅルを刈って、クリスマスローズの古葉を切った。キャロットラペを作った。晩御飯にポトフを煮込んで食べた。
隣の家の草引きをしたときに肘を傷めて、それがどんどんひどくなってる。テニス肘だな、テニスじゃないけど。
それといつもの左腕がビリビリ。
頑張れても、祟りがあるのが60代、なんだな。まぁ仕方なし。
このあいだ、ふと思ったこと。
人間という生き物は、自分がいつか死ぬことを知っている多分唯一の動物で、死ぬというのはきっと痛くて苦しいのでとても恐ろしいことのはずで、それなのに、そういう恐ろしいことが絶対やってくるという恐怖を、人によって違うがだいたい80年くらいも頭のどこかにとどめながら生きていく生き物なのだなぁ、ということ。
したたかなのかなぁ。それとも、アホなのかなぁ。
関越道の事故の死者が痛ましい。東名を20年もフルトレーラーで往復した父は一度も事故を起こさなかったけれど、それは本当に運がよかったということで、焼死という最も苦痛であると言われる亡くなり方と父と、きっとさほどの差はないのだ。父がいつそうなってもおかしくなかった。だからとてもつらい。
生きていくのは、しんどいこと。いつか死ぬことを胸に抱いて生きること。





